ゴルゴ13・パート1 外務省からの依頼〜うさぎのように臆病であれ〜

本日、外務省のホームページに、ゴルゴ13(作 さいとう・たかをさん)が掲載されました。

 

昨日のドラマにケチをつける話の続きではありませんが、作中にもある、

「うさぎのような臆病者」

ではずのゴルゴ13が、のこのこ外務省の受付を通して大臣室に入っていました。

たぶん、外務省からの依頼で、外務省の大臣室での接触となったのでしょうが、これはゴルゴ13のルールに違反します。

どうせなら、

「テロのリスクの低い場所で……」

なんて徹底した設定がよかったのではないかと思います。

 

さらに読んでいくと、

「レストランや公共交通施設、イベント会場など、不特定多数の多数の人が集まるソフトターゲットで、短期留学生や旅行者が被害に遭う可能性がある」

だから、

「自分の身は自分で守る意識を持て」

ということが記載されていますが、さて、この依頼を引き受けたゴルゴ13は、どのようにその意識を具現化してくれるのでしょうか。

 

たとえば、ソフトターゲットでテロの予兆を察知するポイントや、発生したときの対応など、具体的なアイデアが示されたなら、消防訓練のように、避難訓練のように、テロ被害回避訓練まで実施すると、意識もより高まり、現実に起こるテロにも、多くの邦人は適切な対応ができるのではないかと思います。

 

もちろん講師は、アメリカ国防総省の高官を名乗るデューク東郷しかいません。

昔はよかった評論家

昔から、ドラマや映画が好きで、いろいろ見てきました。

 

昔のドラマの再放送なんかもちょいちょい見ておりますが、結構、ご都合主義で作られていることに気がつきます。

昔は、そんなことに気づきもしなっか子供だった、とも言えますが、でも、そんな昔のドラマよりも、現代のドラマや映画は、技術的な面も含めて、エンターテイメントの質も高くなっているはずの、たとえば、NHKの朝の連続ドラマや大河ドラマを見ても、批判しています。

 

役者の芝居の善し悪しからシナリオ、カメラワークにいたるまで、文句を口にしています。

 

会社では、社内批評家になるな、と言われますが、何年か会社にいると、批評と称して愚痴をこぼすようになる人は、珍しくありません。

え?

(オマエもそうやったから、今の境遇にあるんやろ!)

おっしゃるとおりでございます。

 

かつては会社を批判しておりました人間が、会社を批判できなくなって、自称、映画ドラマ評論家になってしまったということかもしれませんが、これは、知識、たとえば、会社のあり方や仕事に関する知識、演技に関する考え方やシナリオの方法論、などによって驚きや感動、つまり、子供のような新鮮な気持ちを失った証拠のようにも思います。

 

「昔はよかった」

という言葉は、言い換えると、

「自分は、昔、子供のころのような、驚きや感動するといった、新鮮な心を持っていた」

ということかもしれません。

 

そんなことを例によって例の友人に話しましたところ、彼はひどく驚いて、

「キミは、子供やなかったんか!」

百条委員会・石原氏の使える台詞~私は何をすべきだった、とおっしゃるんですか~

昨日、石原元東京都知事が百条委員会の証人喚問に応じました。

 

喚問の中継をすべて見ていたわけではありませんが、面白かったのは、覚えていないと答えた石原さんに、質問者が、担当者の、知事に報告した、という証言をタテに、それでも知事は覚えていないというのか、と重ねて問いただしたときでした。

石原さんは、

「私は何をすべきだった、とおっしゃるんですか」

と返しました。

これで、相手を黙らせることができたようです。

 

この台詞は、使えます。

うまくいかなくなったことについて誰かから責任をなすりつけられそうになったら、

「私は何をすべきだった、とおっしゃるんですか」

 

せっかくですから、あちこちで使ってもらって、

『私は何をすべきだった、とおっしゃるんですか』

を、今年の流行語大賞にしたいと思っているのは、きっとアタクシだけでしょうね……

 

ただ、問い詰めた方は、

「開き直るな!」

と、言いたくなるところかもしれませんが、ちょいと工夫があると、世の中、少しは暮らしやすくなるかもしれません。

 

たとえば、

「どないしたら、よかったんやろな……」

と、何となく独り言のように問い返すのも悪くはありませんが、

「さあ、それをアンタに相談に来たんや」

「そないに言わんと、ほなまあ、天ぷらで一杯いこか」

てな……

 

え?

(やっぱりそんなオチしか考えつかんのか!)

再び《桜奉行》〜川路聖謨の人心掌握術〜

出久根達郎先生の《桜奉行》を拝読しておりますと、ビジネスでも有効な心得や術が随所にちりばめられています。

 

封建時代のことですから、庶民はもちろん、元からそこで仕事をしている人々も、お奉行様の下知に素直に従うのかと言うと、さにあらず、その人となりを見て、己の保身、既得権益の保持に走ります。

 

奉行として奈良に赴任する前にも、幕府の要職にあり、あるいは遠国奉行として佐渡の管理も経験してこられた方ですから、人心掌握術を心得ておられます。

 

まず、様子を見ながら、それぞれの人柄を見極め、見方にするべき人物を選び、周囲の妬みを買わぬように手柄をあげさせてとりたて、しかるのちに行政の改革に乗り出す、という、現代と変わらぬ手法で、慎重にコトをすすめておられます。

 

剣豪の派手な立ち回りもなく、切なくなるような色恋の話もない小説ですが、川路聖謨という人物をしっかり書き込んだ、一つのビジネス書として読むこともできるかと思います。

 

もちろん、片肌脱いで、

「おうおうおう、この桜吹雪が目に……」

 

え?

(前もそのオチやったやないか!)

 

ただ、まあ、庶民と触れ合うことを忘れなかった、という点では、金さんと同じだったようです。

 

アタクシも、庶民と触れ合うことを忘れずに……

え?

(オマエは何様のつもりじゃ!)

というところで、本日のオチにしたいと……

ゴンッ!

外務省がゴルゴ13に依頼!

小学館ビッグコミックに連載中の、さいとう・たかを先生の劇画『ゴルゴ13』の主人公、ゴルゴ13が、海外における安全対策を指南するマニュアルを、外務省のホームページに、13回の連載形式で掲載されるというニュースがありました。

 

たぶん、日本でもっとも長く連載され、単行本レベルでもいずれ日本一の発刊数を記録するだろうという『ゴルゴ13』の人気の要因の一つに、世界情勢をタイムリーに映しているところがあると思います。

そんなところに着眼して、海外の安全対策を啓発しようという発想にも感心しましたが、何より、それが外務省から出てきたというところに、面白さを感じました。

 

外務省ばかりではなく、『ゴルゴ13』は、日本の課題の一つになっている〈働き方改革〉にも使えそうな気もします。

 

幅広い知識と深い教養、それらを基にした発想や計画、準備、行動力などは、文部科学省の教育改革にも活用できるのではないかと思います。

英語にも翻訳されているようですから、英語学習と併せて利用できるようにも思います。

また、社会の教科書的な知識だけではなく、より具合的な世界情勢を把握させることもできるのではないかと思います。

 

アタクシも、早めに仕事の準備に取りかかるときなどに、

「もう準備をしているんですか」

と声をかけられたら、

「ええ。ゴルゴ13と同じく、小心者ですから……」

と申し上げています。

すると、皆さん、驚かれます。

そこで、

ゴルゴ13は、小心者だと自分で言ってますから……」

と付け加えますと、

ゴルゴ13って、そんなに失敗しばかりしてましたっけ……」

あなたは一人じゃない

「あなたは一人じゃない」

というポスターを見かけて、

「あなたは孤独ではない」

というメッセージを発しているのかと思ってよくよく見てみますと、どうやら、

「電車内は他の乗客もいてまっさかいに、勝手な振る舞いは許されまへんで……」

という啓発ポスターのようでした。

 

これは、皮肉なポスターだと思いました。

周囲にいるたくさんの他者の迷惑にならないように、

「あなたは一人じゃない」

ということを意識して社会的なマナーを守れといっているポスターは、ほんとうは、

「わたしは一人じゃない」

と思いたい人に向けて発しているようにも思えます。

 

時と場所を考えず、あるいは周囲の迷惑を顧みずに誰かとしゃべっておられる方は、自分は一人じゃないことを自分自身に思い込ませているのではないかと思います。

 

どれだけ周囲にたくさんの人がいても、自分は一人、という感覚を持たれている方は少なくないと思います。

ペットに話しかけるのも、ぬいぐるみに話しかけるのも、一人の自分を癒す行為かもしれません。

 

まれに、独り言をつぶやく人を見かけますが、自分が一人だと感じているから、一人じゃないところで声高にしゃべっているようです。

 

 

ちなみに、アタシは、仮にこんなお題をいただいたら、という想定から、三題噺のお稽古をときどきいたしますが、自分が一人だと感じているから、一人じゃないところで声高にしゃべっている独り言では決してありませんので……

身の程知らず

古典に、謡の名人が声を発すると、隣室の下手な止んだので、翌日、その名人の弟子が、

「今日も隣の下手な謡を止めさせてください」

と申しましたところ、

「今日のは無理だ」

「どうしてですか」

「前夜は、こちらの声に自分を恥じて止めたが、今夜の手合いは、それを聞き分ける技量もない身の程知らずだ」

てな話があります。

 

カラオケに参りますと、ちょうちょい下手な歌が聞こえて参ります。

基本的には、誰でも楽しく歌っていいと思っておりますが、アタクシ、ついついそれを黙らせてやろうと思ってより一層声を張り上げて歌ってしまいます。

でも、アタクシの歌を聞いても止めない人が多く、

「現代は、身の程知らずがたくさんいる時代なんだな……」

なんて思ったことを、例によって例の友人に話しましたところ、

「キミの場合、隣室の名人の歌に気づいて恥じなければならないのが、実は自分である自分であるということに、まず気づくべきだろう」

 

先日の《三題噺の会IN奈良》で、アタクシ、8曲ほど歌ってしまっておりました……