三題噺・遺言状

昨日の《三題噺の会》のお題は、〈大渋滞〉〈大逆転〉〈安楽死〉でした。

 

兄・おい。

弟・ああ、兄さん。遅かったやないか。

兄・〈大渋滞〉やったんや。それより親父はどうや。

弟・うん。大重態や。

兄・そら、いかん。早う、遺言状、書き直させよ。

弟・いくらなんでも、兄さん、そんな無茶したらあかんで。

兄・無茶は親父のほうや。お母ちゃんと、わしらが一生懸命がんばって、これだけの財産、築いたんやで。それが、お母ちゃんが死んで、二年前に新しい嫁はん、もろうて、その女に財産の半分を渡して、死んだお母ちゃんと頑張ったわしらには、残った半分を二人で分けろて、そら、あかんやろ。

弟・そら、まあ、そうやけど……

兄・こら、親父、まだ死んだらあかんど。遺言状、書き直すまでは、死なさへんど(親父の胸ぐらをつかんで起こす)

父・こ、こら、何をすんねや。わしゃ、死にかけてんねやぞ。

兄・そやから、遺言状さえ書き直したら、なんぼでも〈安楽死〉させたるで。

父・安楽に死んでられんやないか。

弟・そうや。兄さん、親父の今際の際に、そないな無茶したらあかん。

兄・あ、そうや。あの女、どこへ行ったんや。

弟・あの女て、継母でも一応、わしらのおかんやないか。

兄・あほ言え。あんなもん、母親でも何でもあるかい。第一、亭主の今際の際に、どこぞへ行ってるやなんて、どうしょうもない女やないか。

母・ああ、間に合うたかいな。

弟・あ、お母はん。

兄・こら、この大事なときに、どこへ行ってたんや。(母の背後を見て)その、後ろにいてるオッサン、何者や。

母・ああ、この人な、祈祷師やねん。

兄・祈祷師?

母・そうやねん。〈大逆転〉の祈祷師やねん。

兄・大逆転の祈祷師て、そら、何や。

母・この人に祈祷してもろたら、どんなに悪い状態からでも、大逆転でようなるんよ。

兄・ほんまか。

母・昨日の阪神。9点差を大逆転したんも、この人がタイガースのベンチの裏で祈祷したからやねんで。

兄・うそつけ。

母・表通りの呉服屋はん。もう倒産や言うてたやろ。あれ、この人が祈祷したら、三日もせえへんうちに繁盛して、えらいV字回復や言うて、みな、喜んでる。そやさかいに、この人に祈祷してもろて、うちの人にも元気になってもらお、思て。

父・ああ、お前はやっぱり優しいな。

母・ほな、大逆転の祈祷、お願いします。

祈・しからば、失礼して…… おんころころせんだりまとおりそわか、おんころせんだりまとおりそわか、やあ! ……(しばらく様子を見て)あかんな。ほな、かんじざいぼさつはんにゃはらみた、やあ! ……(しばらく様子を見て)これもあかんか。(しばらく思案して、兄弟に)ほたらな、おやっさんの枕元で頑張ってる死神をだますさかいにな、わしが合図したら、布団の両端もって、ぐるっと回してみてや。

兄・それ、なんや落語の死神みたいでんな。

祈・ほな、行くで、あじゃらかもくれんせきぐんはてけれっつのぱあ! 今や、回せ!……(しばらく様子を見て)これもあかんか。

母・ちょっと、頼むさかいに、うちの人、何とか元気にして。頼むさかいに。

父・そないにわしを大事に思うてくれてんのか。うれしいな。

母・そないに喜んでくれるんやったら、一つだけ、頼みがあるんよ。

父・何や。

母・遺言状、私に全財産を譲るて、書き換えて。

                                   デンデン

あしたのジローと袋とじ

新作『あしたのジロー』(原作・森高夕次さん 作画・荒木光さん)が、秋田書店の『ヤングチャンピオン』と双葉社の『漫画アクション』に、交互に連載されるそうです。

異なる出版社が、同じ作品を交互に連載するなどということは、かつてなかったことですが、過日、『週刊少年マガジン』(講談社)も、少年としては初の袋とじを試みています。

 

毎年、姿を消す出版社も少なくないようで、他業種大手企業の傘下に入って生き延びるところもあるようです。

 

いずれも、出版業界の不振を象徴することではないかと思いますが、同時に少子化から人口減少に向かう日本の象徴でもあるように思います。

 

一方で、長く人気を博している漫画も多く、海外では日本のアニメが輸出コンテンツになっていることを考え合わせてみると、業界の縮小と捉えるのではなく、淘汰の時代に入っていると考えることもできるかと思います。

 

同一作品の二社交互連載にしろ、少年誌の袋とじ企画にしろ、淘汰の時代だからこそ、生まれた、掟破りの打開策かと思います。

 

『あしたのジロー』は、『あしたのジョー』(原作・梶原一騎さん 作画・ちばてつやさん 週刊少年マガジン 講談社)を連想させる内容のようですが、もしそうだとしたら、まさに漫画誌の、

「明日はどっちだ?」

という作品になるのでしょうか。

サワコの朝から〜岡田准一さんの教え〜

今日の『サワコの朝』(MBSテレビ)のゲストは、V6の岡田准一さんでした。

V6の…… というよりは、俳優の…… といった方が、今ではいいかもしれません。

 

岡田さんは母子家庭で育ち、自分はどんな大人の男になるのか、という自問をされていたそうです。

恥ずかしながら、アタクシ、そんなことを爪の先ほども考えたことはありませんが、

「アタシの人生はいったいなんだったんだろう……」

なんてことを考えることもありません。

おそらく、そんなことを考えるのは人間だけで他の静物はそんなことを考えることなく、ただ生きているように思いますが、つまり、アタクシは、人間よりはむしろ他の生物に近い生き物ではないかと、ふと、思いました…… いえ、なんとなくそうかな、と感じていたことが明確になったと言った方がいいかもしれません。

 

ついでに、

「自分はいったいは何者だろうか……」

と考えるより、岡田さんのように、

「自分はどんな大人に、あるいは男になりたいのか……」

を考えた方が、生きやすいのではないか、てなことも思ってしまいました。

 

さらに、

『我思う故に我あり』

なんて言葉まで連想いたしまして、

「これって、やっぱり人間以外の生き物は考えないよな……」

「でも、『我思う故に我あり』が自己存在の証明の第一になるとして、そこに不安のある人は、他者からの認知がないと生きていけないのかも……」

「もしそうだとすると、他者との関係を自己の存在認知の手段として考えることも可能で、そうなると、自分は何者かと自問するよりは、自分はどんなほにゃららになりたいかと考える方が、やっぱりよかったりして……」

「いや、それも結局はその場の凌ぎの発想でしかないのかな……」

 

「まあ、こんなふうに思考が行き詰まったときには、しばらく人間をやめて……」

なんてことを例によって例の友人に語っておりましたら、

「キミの場合、やめる前に先に人間になるべきじゃないのか」

                                  デンデン

ゴルゴ13・パート7 安全の三原則〜自由の代償〜

本日の外務省のホームページに記載されたゴルゴ13は、非常に面白く、ためになる内容だと思います。

 

安全の三原則として、

⑴目立たない。

⑵行動を予知されない。

⑶用心を怠らない。

という項目が挙げられ、これを守ることなく求めた〝自由の代償〟は、払わなければならないというお話でした。

 

近年、ストーカー殺人が発生しているとはいえ、およそ日本国内にいる限り、テロの頻発する海外に比べれば、三原則を意識する人はいらっしゃらないように思います。

それどころか、変に目立とうとする輩が目につくばかりか、今回の話の中にもあったSNSで自分の行動を発信までしています。

もちろん、そんな人は用心などしません。

 

とはいえ、かつての日本には、この三原則を守って暗躍した忍者がいましたから、昨今の忍者ブームに乗じて、こうした注意を呼びかけてもいいように思います。

ゴルゴ13の連載が終ったら、外務省は次に赤影やハットリくんなんかに出演を依頼するというアイデアはどうでしょうか……

 

ちなみに、アタクシ、目立とうとしておりますが、一向に注目されることはなく、明後日、午後二時から伝楽亭の《三題噺の会》に出演するという行動まで予告しておりますのに、アタクシが狙われるどころか、さあ、どれだけお客さんがいらっしゃるのかと心配しておりまして……

 

もう一つ、今回、注目致しましたのが、〝自由の代償〟です。

安全対策を講じることなく、自由の名の下に行動することには、リスクが伴い、場合によっては相応の代償を支払わなければならない、と言う点も、日本人には欠けていることを認識させられました。

 

これを例によって例の友人に話しましたところ、

「キミの場合、三原則は無用だね」

と言いましたから、

「それはどういうことか」

と尋ねましたら、

「代償が支払えないもんね……」

でも、今回はアタクシ、言ってやりました。

「代償は払っているよ」

「自由の代償か?」

「そうだ、自由に生きてきた代償だ」

「それって、経済的に困窮しているという言い訳でしかないだろ……」

 

ズキューン!

ローカル路線バス乗り継ぎ旅の行き先か行く末か……

ありきたりの旅番組に新風を吹き込んだのは、間違いなく、太川陽介さんと蛭子能収さんのコンビが毎回ゲストのマドンナとともに路線バスだけを乗り継いで目的地に向かう、テレビ東京の、『ローカル路線バス乗り継ぎ旅』ではないかと思います。

だから、NHKまでバス旅番組を取り入れるようになったのではないかと思いますが、その本質までは、なかなか真似のできるものではありません。

笑福亭鶴瓶さんだからこそできる『家族に乾杯』が、NHKでは精一杯かと思います……

 

名所名物特産品を予定に組み入れた情報提供型旅番組よりも、ほんとうに途中で何が起こるかわからないばかりか、目的地に到着しないという、旅番組としてはあってはならないシーンまで放送するというところが、『ローカル路線バス乗り継ぎ旅』が視聴者を惹き付けた要素の一つになっていたのではないかと思います。

 

たとえば、綿密な計画を立てて実行する行為は旅行と呼んで、目的を達成することを第一に掲げる仕事と大差はありません。

家を出てからどっちに足を向けるかということを決めて、もちろん、途中で気が向けば寄り道をして、路地に入り込んで、もしかしたらお宿も取れないかもしれない行為を、旅と呼ぶなら、まさに自由を満喫していると言えるでしょう。

 

ただ、それもテレビ番組という枠の中でのことですから、枠を打ち破るのは、やはり難しいことなのかもしれません。

 

え?

(オチは?)

 

アタシの人生、バスの旅……

 

え?

(そんなんわかってる!)

 

すみません。

わかっていても、予定調和の枠からは、なかなか抜けられないようで……

太陽光パネルの設置場所

以前、短大の非常勤講師をしておられた方が、

ゴールデンウィークには、田植えをしないと……」

とおっしゃっていましたが、その頃と比べますと、日本の田園風景もだいぶん様変わりしたように思います。

 

数年前には、休耕地や耕作放棄地が問題になっていたようにも記憶していますが、最近は、田畑の隙間に太陽光パネルが目につくようになりました。

 

先日、抽象画の先生と、車窓から見える太陽光パネルを話題をしておりましたら、

「JRの駅舎の屋根や線路の間につけるといいんじゃないかな」

とお話しになりましたので、

「それなら、もっと軽量化して日傘に取り付けられるようにすると面白いかもしれませんね」

なんて、こちらも目についたままのアイデアを申し上げましたら、

「そうそう、それでスマートフォンの充電をしたい」

と、御自分のスマートフォンを取り出して御覧になっていました。

 

技術が向上して、太陽光パネルがもっと軽量化して薄くなり、それに柔軟性が加味されるようなると、日傘はもちろん、たとえば、太陽光パネルスーツなんてものもできて、「いつでもどこでも発電できます」

てなことが可能になるかと思います。

 

そうなると、仮面ライダーストロンガーも実用化されて……

 

え?

仮面ライダーストロンガーって、何や?)

いや、7番目の仮面ライダーで電気人間……

仲間はタックルという、ミニスカートの……

 

え?

(電波投げ! トーッ!)

なんや、あんさん、御存知や……

 

柳の下のネコと幸せな命令形

『柳の下の二匹目のドジョウを狙う』

という言葉がありますが、ついにここまで来たかという書籍の新聞広告を、発見してしまいました……

 

『幸せになりたければねこと暮らしなさい』(著者・樺木宏さん 監修・かばきみなこさん 自由国民社

です。

 

まったく読んでおりませんので、内容については一切申し上げることはできません。

ただ、申し訳ありませんが、タイトルについてのみ、ネタにさせていただきます。

 

まず、何と言っても、

『ねこ』

は、駅長として廃線寸前だった和歌山のローカル鉄道を救うほど、多くの日本人のハートをつかむ鉄板アイテムです。

 

次に、

『幸せ』

ですが、

「幸せになるためのほにゃらら〜」

なんて形でもよく使われております。

生きかたを模索する、特に女性の心のスキをつく言葉です。

 

さらに極めつけは、

『〜しなさい』

という命令形タイトルは、ビジネス書から自己啓発、美容、健康に至るまでなんでもござれのマジックワードです。

 

これだけでもう、柳の下にはドジョウの十匹や二十匹は寄ってくるだろうてなタヌキの皮算用的発想が見えているようにアタクシには、思われますが、どうせなら、

『ねこと暮らす勇気』

とか、

『さるでもできるねこ生活』

とか、

『幸せはねこを入れてはいけない公園の砂場で学んだ』

とか、ちょっと古くなりますが、

『ねこと幸せに暮らす練習帳』

なんて、二匹目のドジョウ型タイトルをつけてもいいように思いますが、自分の独創的なアイデアにあふれた原稿をどこの出版社も買ってくれない僻から、アタクシ、こんなことを申し上げているわけでは決してないということだけは……

 

ズキューン!