《そこまで言って委員会NP》の懐

そこまで言って委員会NP》の懐の深いところは、主義主張の異なる論客を迎え入れて、一方的な主張を展開しないところかと思います。

 

もちろん、方向性の似通った傾向はありますが、それでも反対意見を排除せず、ほとんどフリートークで番組を制作しています。

 

その真骨頂が、朝鮮半島をテーマにした本日の放送に顕著に表れていたように思います。

 

ばかりか、話題が変わる冒頭に挿入された、

「意味があるのか……」

とツッコミを入れられながら韓国料理の食べ歩きレポートが、なんとも緊迫感を和らげていました。

 

独断的な司会や一方的な意見しか口にしないレギュラーやゲストがしかめっ面で正論を吐いています、てな番組よりも、はるかに素晴らしい番組ではないかと、改めて思った次第であります。

 

番組を制作しているスタッフも出演者も、主義主張は違っても、個人を尊重するという姿勢を持っているからではないかと思います。

 

お亡くなりになったやしきたかじんさんの名前がタイトルに冠せられて始まった番組ですが、きっと、たかじんさんの意志が受け継がれてもいるんだろうな、とも思います。

 

長く続いてほしい番組の一つです。

 

え?

(だったら、毎週、見逃すな!)

すみません……

思い出作りと自分探し

フェイクニュースがあるのなら、フェイクワードもあるのではないかと思います。

キーワードがあるのなら、フェイクワードもあるのではないかと思います。

 

さて、修学旅行のシーズンになりましたが、修学旅行の目的はいったい何でしょうか……

漢字から考えると、

〈学問を修める旅行〉

となりますが、生徒の中には、

「思い出作り」

と考えている向きもあるようです。

 

ところで、思い出は作るものなんでしょうか……

世間には、普段話さないようなことをこっそり友達と話したとか、枕投げをして先生に叱られたとか、お土産を買って記念になっているとか、いい思い出になっているという修学旅行の話は、よく転がっています。

ただ、そうした先人のよりよい思い出をなぞるような思い出作りって、どうなんでしょう……

わざわざ作らなくても、日常生活のあらゆることが、よくも悪くも勝手に思い出になってしまうのが、思い出ではないかと思います。

いくら修学旅行でたくさん写真を撮っても、お土産をたくさん買っても、以後、一度も思出さなければ、思い出にはならないのではないかと思います。

 

〈自分探し〉なんて言葉はもう流行らなくなったように思いますが、この言葉も、〈思い出作り〉と同じ種類の言葉かと思います。

たぶん、アイデンティティという、新たな概念から派生した発想かと思いますが、日常生活の中に自分は存在し、その中でいろんな悩みや迷いがあってあれこれ模索しているわけですから、改めて自分を探す必要などないように思います。

 

そういう意味で、〈思い出作り〉も〈自分探し〉も、フェイクワードではないかと思います。

 

え?

(だったら、このブログもフェイクブログだよな……)

 

サワコの朝からひよっこへ……

今日の『サワコの朝』(MBSテレビ)のゲストは、女子プロレスラーとして活躍されたタレントの北斗晶さんでした。

高校を中退して女子プロレス界に身を投じ、つらいことも多々あったそうですが、

「夢があるから、どんなつらいことにも耐えられる」

とおっしゃっていました。

 

まさにそのとおりで、夢を叶えた人は、皆さん、そうおっしゃいますし、だから、世の中の多くの方は、

「夢を持て」

と宣います。

 

ただ、こうして語られる夢に引きずられて、夢を持たなければならない、と思い、夢のない自分に焦燥感を覚えたり、失望したりする人も少なくないのではないかと思います。

中には、これこそ自分の夢だと思っても、耐えられずに挫折してしまう人もいらっしゃるかと思います。

 

「夢があるからどんなつらいことにも耐えられる」

裏返すと、

「つらいことに耐えられなければ、それは夢ではない」

ということでしょうか……

夢という言葉は、ひどく残酷なもののように思います。

 

続いて視聴致しましたのが、NHKの朝の連続ドラマ『ひよっこ』で、

「働くのが好き」

という言葉が出て参りました。

 

夢だとか成功だとか、そんな御託を並べることなく、ただ働くことが好きだとおっしゃる方も、世の中にはたくさんいらっしゃるように思います。

ただし、アタクシの経験から申し上げますと、そうした方は、女性に限っているように思います。

 

問題は、幻をいつまでも夢だと勘違いしながら、働くことが好きではないアタシは、どうやって生きていけば、いいかということでございます……

 

でも、大昔、バラクーダが歌っておりました『チャカポコチャ』(作詞・岡本圭司さん 作曲・ベートーベン鈴木さん 徳間ジャパン)のサビの部分、

「それでもあなたは生きている〜🎶」

が、アタクシ、大好きです。

 

ゴルゴ13・パート8 オフィスの安全対策の死角 〜間違ってもシュレッダーにGマニュアルを入れてはいけない〜

外務省のホームページに、今日もゴルゴ13の安全対策が掲載されました。

 

ドイツに新たなオフィスを設ける企業の社長の依頼で、ゴルゴ13がオフィスビルを点検し、マニュアルを作成するというストーリーで、読んでおりますと、日本国内の安全性に関する意識は、やはり低いのだろうな…… と感じました。

特に、近隣のオフィスビルより安全対策が劣っていると標的にされやすいというアドバイスには、なるほど、と感心しました。

また、誘拐など、最も狙われるポイントが地下駐車場であるという指摘には、本日の『科捜研の女』(再放送)の殺害現場も地下駐車場であっただけに、次、なんぞ書くときにはちょいと使わせてもらおう、などと思ってしまいました……

 

最後は、ゴルゴ13がまとめた安全対策マニュアルを受け取ったクライアントの社長が、他にコピーのないのを確認した上で、これをGマニュアルとして自社のトップシークレットするべく、一部だけコピーしようとして、過ってシュレッダーに入れてしまっていました……

 

いつもなら、朝早くから掲載されているゴルゴ13ですが、今日はいつもより遅く、約束の時間に姿を現さないのは、彼の身に何か緊急事態が生じたのかと思いましたが、どうやら、オチをどうしたものか、締め切りを過ぎても考えていたのではないか、と考えていたのではないかと、実は疑っております。

 

ワレワレは、オチを考えることに慣れておりますが、さあ、あと5回、ゴルゴ13はオチに苦しむのではないかと……

 

ズキューン!

 

い、今のは、警告か……

鹿島アントラーズ レオ・シルバ選手の言葉

アタクシども、シャレの世界、落語社会に住まう人間は、際どい表現を扱うことがあります。

それに対して、ワレワレの世界の住人ではない相手が不快に感じた場合、なるべく早く謝罪します。

言い訳はしません。

その点を蔑ろにする人間は、ワレワレの世界に住まう資格はない、とアタクシは思っております。

 

サッカーJリーグ鹿島アントラーズ浦和レッズの試合中に発せられた暴言が物議を醸しています。

暴言を吐いたとされる選手は、裁定が下されたあとで謝罪会見を開いたそうですが、それを受けた鹿島アントラーズのMFレオ・シルバ選手の言葉を、スポーツ報知が報じています。

「人はあやまちを犯したり、ミスを犯したり、害を与えることがあればその場で謝罪する」

「日本人に対する感謝の気持ち、礼儀正しさへの敬意は変わらない」

「日本人はお互いに敬意を持って接する」

「日本人は、文化の違いを尊重する」

と、うれしいことを述べてくださっています。

ただ、レオ・シルバ選手の言葉は、ワレワレがワレワレであるか否かを顧みることを要求しているようにも感じます。

 

もちろん、アタクシどもはバツ一でもバツ三でも、病気持ちでも、ハゲでもデブでも、一般に少数派とされる人々に対しても、そうしたことを問題にすること、あるいは感情に任せて侮蔑的な発言をすることはありません。

 

問題にされるのは、ただ一つ、〈面白いかどうか〉です。

 

「あんさん、ぜんぜんおもろいことおまへんな……」

 

アタクシ、それでいつもツライ思いはいたしますが、この言葉が暴言になることは決してありません。

面白くない、ということすら、笑いに転じることができますから……

横綱稀勢の里関の化粧回しから〜ラオウVSピカチュウ〜

横綱稀勢の里関が、『北斗の拳』に登場するラオウを描いた、新しい化粧回しを披露して話題になりました。

 

先日、経済学の先生がその話を持ち出してきましたので、

「まあ、強さの象徴ですからね」

と応じましたところ、

「そのうち、ポケモンも化粧回しになるかもしれませんね」

「さすがにポケモンはどうでしょう」

「でも、ピカチュウは、必殺技が、電光石火でしょ」

「なるほど、電光石火の早業なら、横綱日馬富士関ですね」

「でしょ、そうなると、横綱同士の優勝決定戦なんか面白くなるでしょうね」

ラオウピカチュウですからね」

「他にも、アニメのキャラクターが化粧回しに登場するかもしれません」

「ワンピースのルフィなんか、決してあきらめることなく、何事にも立ち向かいますから」

「露払いと太刀持ちの回しは、ゾロとサンジでしょ」

「でも、だからといって、国技にアニメばかりじゃ、やっぱり、許されませんでしょ」

「いや、龍だって、もとは架空の動物ですから」

「なるほど、そう考えると、別にアニメでも問題はありませんね」

「そうなんですよ、問題は、経済学の講義でこのネタが使えないところで……」

「それでしたら、アタシが使わせてもらいます」

ということで、拙ブログに掲載いたしました……

 

長嶋茂雄終身名誉監督の道徳には載らない言葉

プロ野球、巨人の長嶋茂雄終身名誉監督が、来年4月から小学校5年生の道徳の教科書(教育出版社)に登場するそうです。

 

選手としても監督としても実績のある長嶋さんは、病気から奇跡の復活を果たした方でもあり、日本中に知らない人はないような感覚をお持ちの方もおられるかと思いますが、やはりマスコミの露出度の影響か、最近の若い人には知られていないようにも感じます。

 

ただ、知らなくても、この長嶋茂雄終身名誉監督の影響を受けている若い人は少なくないかもしれません。

 

たとえば、監督としてシーズン開幕前のインタビューで、長嶋さんはよく、

「優勝という二文字を目指して……」

と答えていらっしゃいましたが、意気込みを問われて、これを口にするスポーツ選手は今でも少なくないように思います。

 

たぶん、ここから、

「野球というスポーツを通して……」

とか、

「税金というお金を通して……」

とか、

「なんちゃらというほにゃららをどがちゃかして……」

という表現を使う若い人がおられるように思います。

 

長嶋茂雄終身名誉監督が道徳の教科書に掲載されるなら、いずれはメジャーリーガーのイチロー選手にも同様の可能性があるかと思います。

でも、イチロー選手の口から、

「優勝という二文字」

が出たという話を、アタクシ、寡聞にして存じ上げませんが、独自のイチロー語録は、何冊も出版されています。

 

長嶋茂雄終身名誉監督イチロー選手、あるいは日めくりカレンダーに語録が掲載されている元テニスプレーヤーの松岡修造さん、さらには、世界のトップクラスプレーヤー錦織圭選手、スポーツにかぎらず、昨今は田中角栄元首相など、独自の哲学を独自の言葉で語っていらっしゃいます。

 

そうした方の言葉を、道徳ではなく、国語の教科書に採用してもらえると、〝国語という教科〟の新たな発展が望めるのではないかと思いますが、いかがでしょうか……