〈憲法改正〉〈働き方改革〉〈料金改定〉

昨今話題になります〈憲法改正〉と〈働き方改革〉について、

「《改正》と《改革》って、どう違うんだろう……」

と、今さらながら疑問に思ってしまいました。

 

辞書によって若干の異同はあるようですが、

『《改正》は、規則等の不適当、あるいは不備な点を改めること』

で、

『《改革》は制度や組織、政策などを部分的に改善すること》』

のようです。

 

なんややっぱりようわからんぞ、ということになりましたら、いろんな例を引っ張り出してみるのが手っ取り早いかと思います。

 

憲法改正〉の他に、〈税制改正財務省)〉〈旅館業法改正(厚生労働省)〉などが見られます。

〈働き方改革〉の他には、〈高大接続改革(文部科学省)〉なんてのがあるようですが、税制については〈税制改革〉という言葉も耳にします。

 

まあ、イメージとしては、正しいことに改めるという《改正》よりも、《改革》の方が、なんや大きく変えてくれるんやないかてな期待をもたせてくれるんやないかと思います。

 

学校なんかで、

〈改正校則〉

と言われると、さらに厳しく押し付けられるような感じがしますが、

〈校則改革〉

とすると、学園ドラマになりそうです。

 

ただし、商品やサービスの値上げの際には、

〈料金改定〉

元は、

《改訂》

で、こちらは、

『取り決めの一部を正当な形に改める』

や、

『書物、文章の内容を改めること』

なんて意味があるようで、値上げという言葉を使わずに値上げをしてしまおうという、これはもう策略の一環かと思います。

 

また、

就業規則の改訂〉

という場合でも用いられているようですが、これも考えようによっては、

「文章をちょっと改めただけだから、たいしたことはありませんよ〜」

てな解釈で世間を欺くことができるような気もします。

ちなみに、法令文に関しては、

《改定》

を使うことになっているそうです。

 

だったら、

「料金改定のついでに憲法も改定しまぁ〜す」

ってすると、面白くなるかも……

 

ボカ! ドス! ガン!

〈わろてんか〉と高木美帆選手(だったと思いますが……)の《自ら変える》

本日のNHKの〈わろてんか〉で、北村商店は恐れずに変化し続けてきた、みたいな台詞がありました。

 

昨夜、冬季オリンピック、スピードスケート1500メートルで銀メダルに輝いた高木美帆選手も、前回のオリンピック代表を逃したときに、今までやってきたことをやってきたから大丈夫だと思って変えることを恐れていた、という主旨の言葉を、どこぞのインタビューで答えていたように思います。

 

どちらもうろ覚えで申し訳ありませんが、

《自ら変えること》

については、古今東西、多くの方がたくさんの言葉を残されているようです。

 

いずれも、

《自ら変えること》

の必要性と重要性を述べると同時に、変えることへの恐れと苦痛を乗り越える勇気を示しています。

 

とは言え、

《自ら変えること》

を考えるタイミングは、うまくいかなくなったとき、挫折したときなどではないかと思います。

 

経営者の中には、うまくいっているときだからこそ、次の一手を考えて現状を変えようとする方もいらっしゃるようですし、変化を恐れるのではなく、

《変化を楽しむ》

てな考え方もあるようです。

 

ただ、言うのは簡単ですが、

《自ら変える》

《変化を楽しむ》

よりも前に、変化によるリスクを考えてしまうのが一般かと思いますので、多くの人は実際にはなかなか踏み切れないのではないかとも思います。

 

「アタクシは、自分は変化を恐れる人間ではないので、市販の履歴書に書き切れないほど職場を変えている……」

てなことを、例によって例の友人に自慢いたしましたところ、

「キミの場合、職場を変えることに抵抗がないだけで、自ら変えるべきところが他にあるのにもかかわらず、そこだけ変えようとしないだけだろ」

加えて、

「《変化を楽しむ》前に《現状を楽しむ自分に変える》ということが必要じゃないの?」

「それって、辛抱が足りないってことか……」

インタビューここから〜財前直見さんの「この人の正義」〜

今朝のNHKの『インタビューここから』のゲストは、女優の財前直見さんでした。

 

財前さんは、いろんな人間になれる俳優と仕事が好きだそうで、

「普通って、幅が広い」

とおっしゃる一方で、殺人犯を演じるときには、この人はどんな人なのか、どうしてこんなことをしたのかを考えて、

「この人の正義はここにあるのか」

と気づかれるそうです。

 

プライベートでも仕事がらみでも人間関係を構築するにあたって、

「この人はどんな人だろう」

という問いかけが最初のポイントになるのではないかと思います。

 

たとえば、

「あの人、どんな人?」

と、以前から付き合いのある人などに尋ねると、

「厳しいけれどいい人ですよ」

とか、

「いい人なんだけれど、口の悪いところが玉に傷で……」

とか、

「面白い人……、それだけ……」

なんて評価が返ってきます。

ときどき、

「あの人の価値の基準はね……」

という突っ込んだ評価が出てくることはありますが、誰も、

「あの人の正義はここにあります」

てなことはおっしゃいません。

 

もちろん、映画やドラマでは作者やシナリオライターが、犯人の正義がどこにあるのかを考えますが、普通の人間の正義の在りようは、財前さんの言葉を借りれば、

「幅が広い」

ということになるかと思います。

 

そんなことを考えつきましたので、

「あの人はどんな人ですか?」

と尋ねるのではなく、試しに、

「あの人の正義はどこにあるんですか?」

と問いかけたところ、

「え? あの人の正義がどこにあるかをお尋ねですか…… あんさん、普通のお方やおまへんな」

「それは、アタシの人間としての幅が狭いということでっか……」

ゴディバの広告とブラックサンダーのツイートから

『日本は、義理チョコやめよう』

という広告を、ベルギーの高級チョコレートブランンドの輸入販売するゴディバジャパンが今月1日の日本経済新聞に載せたそうです。

 

ほとんど日本の職場文化として定着しているかに見える義理チョコですが、それを嫌う人も少なくないようで、

「職場の行動原理を変える」

というのが、広告の意図するところのようで、

《バレンタインは、社内の人間関係を調整する日ではない》

とも、その広告には記されているようです。

 

その伝で言うなら、

《クリスマスは、特別な家庭サービスの日ではなく、また、恋人とともに過ごさなければならない日でもない》

ということにもなるかと思います。

 

こんなふうに考えると、毎日毎日、誰かとの人間関係を調整する日になって、だから休まることのない毎日を送る人が少なくないのではないかと思います。

 

朝日新聞によりますと、この広告に対して、ブラックサンダーを製造販売する有楽製菓が、義理チョコ文化を応援するとして、

《よそはよそ、うちはうち、みんな違ってみんないい》

とツイートしたということですが、これは、義理チョコの扱いについての考え方は、それぞれのメーカーで違っていいというメッセージかと思いますが、そのまま、人間関係においても、

《他人(ひと)は他人(ひと)、私は私、みんな違ってみんないい》

てな認識を認めることが大切なのではないかと思います。

 

ちなみに、アタクシの周囲にいらっしゃる女性の皆さんは、そろってそういう考え方をお持ちの方ばかりのようで、アタクシ、ず〜っとず〜っとず〜っと、義理チョコ一つ、いただいておりません……

たぶん、今年も……

 

え?

(調整する必要すらない人間だからじゃないの……)

って、アアタ……

宇野昌磨選手の言葉から〜オリンピックから〝魔物〟を追い出す方法〜

平昌冬季オリンピックが開幕しました。

 

早速、フィギュアスケートの団体が行われて、男子のショートプログラムで、宇野昌磨選手が103点を超える得点を叩き出しました。

《オリンピックの特別な緊張はなかった》

と、宇野選手はインンタビューに答え、むしろ全日本選手権の方が緊張した、という主旨の発言をされいたようです。

 

『オリンピックには魔物が棲んでいる』

という言葉がありますが、実は、この言葉自体が、〝魔物〟なのではないかと思います。

つまり、この言葉があるから余計に意識して力を発揮できないまま敗れ去ってしまう……

 

ですから、いっそ、

全日本選手権には魔物が棲んでいる』

なんてことにしておくと、オリンピックでは宇野選手のように特別の緊張もなく、多くの選手が100%以上の力を発揮できるようになるのではないかと思います。

 

それにしても、宇野選手のなんとかっこいいことか……

昨日触れました羽生選手に続いて、

「やっぱり神様は不公平だ」

とぼやいてしまうのも、実はアタクシの心に巣食う〝魔物〟のせいかもしれません。

だからアタクシは、いつも100%の力を発揮できず……

 

ボカ! ドス! ゴン!

サワコの朝から〜ミッツ・マングローブさんの教え〜

今日の《サワコの朝》(MBS)のゲストは、女装家のミッツ・マングローブさんでした。

 

たとえば、弟をいじめたら、

「弟をいじめてはいけません」

という叱責ではなく、

「嫌いだわ」

とおっしゃったそうです。

 

日本ではあまり馴染みがないようですが、それはしてはいけないことだと注意するより、それによって私はショックを受けた、傷ついた、と述べる手法は、かなり効果的だそうです。

 

お父様のお仕事でイギリスに在住されていたせいかもしれませんが、ご両親、特にお母様の子供への接し方が、ミッツさんの個性も育まれたようです。

 

〈個性〉

についてミッツさんは、

《大人が尊重して育てようとしなければならない〈個性〉は〈個性〉じゃない》

とおっしゃていました。

 

昔、ある劇団の方が

「うちの子の個性を伸ばしたいと言って、オーデションに来られるお母さんがよくいらっしゃって……」

と辟易した口調でおっしゃていたことを思い出しました。

 

世の中、

「子供の個性を大事にしろ」

てなことを口にされる方はたくさんいらっしゃいますが、〈個性〉とは、盆栽のように誰かが形を整える個性ではなく、誰も気づかなかった、あるいは認めていない資質を発見する、認める、ということではないかと、ミッツさんのお話を聞きながら思いました。

 

でなければ、あとは自分で自分の〈個性〉を喧伝するだけという、アタクシのような……

(チーン……)

おい!

《an・an》の羽生結弦SPECIAL……じゃなくって〜 ……なんだけれど〜

今週号の《an・an〈アンアン〉》(マガジンハウス)を買ってしまいました……

表紙を飾っているフィギュアスケートの羽生選手に引かれたわけではありません。

 

『思考の整理術』

という文字につい手が伸びて、近くにいた女子高生の、

「キモい……」

や、レジのお姉さんのいつにもましてビジネスライクな低い声に気づかぬふりをしながら読んでみますと、やはり男性向けの思考術読本とは違います。

 

「男は論理的で女は感情的」

という発想は、男の勝手な理屈で、実は、

〈感情を理論で覆い隠しているのが男で、感情を基盤に理論を構築するのが女性〉

だと、アタクシ、考えておりますが、

〈心に押し寄せる感情を活用して、直感力を養おう〉

なんてところは、まさに男性向けの思考法手ほどき書籍には見られない発想です。

 

〈客観的にものごとを見る〉

〈視点を変える〉

といった点は、どの書籍にも掲載されているポイントですが、これが、

〈自分の考えを手放し、見方を変えてみよう〉

となりますと、己の考えに固執して、もっと言うなら立場やらプライドやらを捨てられないまま、

「客観的になれ」

「視点を変えろ」

と号令するおっさんに進呈したい言葉であります。

 

おっさんが本気で視点を変えるためには、たとえ女子高生やレジのお姉さんから誤解を受けようとも、ときどきは女性誌を購入するべきだと、改めて思いました……

 

でも、16ページに及ぶ羽生選手の写真記事を見て、

「ああ、神様は不公平だ!」

と、目を背けていた自分の醜い心と、アタクシ、やっぱり向き合ってしまいましたぁ……

 

《目を背けていた何かと向き合う》

なんてのも、

『思考の整理術』

の一つになるかも……