『すぐに役に立つことは、すぐに役に立たなくなる』
たとえば、固定電話が主流の時代には公衆電話が重宝され、ポケットベルも一時はやりましたが、携帯電話の普及が、世の中からポケットベルを一掃し、公衆電話を絶滅危惧種に指定されてもおかしくない存在にしてしまいました。
世間には、すぐに役立つか、あるいは将来、役に立つだろうと予測できるものでなければ、無駄なものとして切り捨てる風潮があります。
すべての判断基準は、
《役に立つか、立たないか》
たとえば[学歴]。
これは、かなり役立つものと考えられていますが、超有名進学中学に通っていたへそ曲がりの私の友人は、
「京大を出ても高卒が就職できる仕事をしている、中学時代の同級生がいる」
と言って、
「学歴は役に立たない」
という持論を展開しながら、
「学歴は役に立たないということがわかった、という点で、学歴を身につけたことは役立っている」
と、矛盾することを主張しています。
小泉伸三さんの言葉や、友人の主張から考えると、
《すぐに、あるいは将来役に立つか立たないか》
という判断基準を、ただ、神のように信奉して、そうでないものを安易に切り捨てるのは、いかがなものかと思ってしまいます。
反対の判断基準を持って、ときには、
《まったく役に立たない、あるいはほとんど無駄ではないか》
と思われるようなものを選択する。
あるいは、役に立つか無駄かという点から離れて、
《面白いか面白くないか》
《何かのネタになるかならないか》
といった観点を持つ。
そう考えると、
「学歴が役に立たないことを理解するために学歴は役立っているという考えが、面白いネタになってこのブログの役に立っている。しかしだからといってこれが世間の役に立っているかというと、無駄としかいいようがない。とはいえ、そこが面白いという人には、役に立っている……かも」
てな、わけの分からないことになってしまいますが、こんなことをこの年末年始に考えてみるという提案は、いかがでしょう?