古典などの作品で作者がわかっていない場合、《作者未詳》とする場合と《作者不詳》と断じる場合があります。
《未詳》の《未》は《未来》の《未》で、
[まだ〜していない][まだ〜でない]
という意味で、《未来》は[まだ来ていない]。
つまり、いずれ[来る]ということです。
ですから、《作者未詳》は、
[作者はまだ明らかになっていないけれど、いずれ明らかになる]
という、可能性を秘めた言葉になります。
でも、[〜ない]という打ち消しの意味しか持たない[不]を使った《作者不詳》には、いずれ明らかになるかもしれない、という可能性はありません。
ということは、[不]の代わりに[未]を使えば、希望に満ちた新しい言葉が作り出せるということになります。
たとえば、《不可能》だとあきらめてしまうようなことでも、《未可能》にすれば、
「もう少しがんばろう」
という気持ちになるかもしれません。
たとえば、《不幸》を《未幸》にすれば、いずれ幸せをつかむ可能性が強まるかもしれません。
「アタシは不幸な女……」
と、哀愁を帯びた演歌が、
「私は未幸な女の子……」
と、明るいポップスになるかもしれません。
[不]が[無]であってもいいかもしれません。
たとえば、《無能》を《未能》に変えることによって、能力の向上が期待できるかもしれません。
「お前は無能な人間だ」
も、
「君は未能な人です」
とすると、褒め言葉に変わるかもしれません。
《未熟》な考えかもしれませんが、《未年》に免じて許してやってください。
1月も10日になって《未年》を話題にするのは、さすがに《無理》があると言われるかもしれませんが、これも《未理》に置き換えて……