夢の切り口

『夢は』を主語にして、あなたは何を続けますか?

「〜になることです」

「〜することです」

という回答は、夢の前に『私の』という言葉がつけられているのではないかと思います。

これを、定義する形で考えると、たとえば、

《夢は実現するものだ》

《夢は追い求めるものだ》

《夢は追い求めるものではない。掴むものだ》

いずれにしても、明るい未来を感じさせる、前向きなイメージがあるのではないかと思います。

だから、子供や若者に、

「夢を持て」

という人がいるのでしょう。

でも、

「そういうセリフが言える人は、夢を実現させることが出来た人だ……」

という反論を、密かに持っている人もいるかもしれません。

そんな人は、

「夢は、かなうとは限らないから、見てはいけないものだ」

とか、

「夢は、結局、自分の人生を振り回すだけで、無駄なものだ」

とか、否定的な見解を示すのではないかと思います。

ただ、それらを、前向きではないという理由で、子供や若者の目に触れないところに隠しておいていいのでしょうか?

そうした現実を、いずれ彼らが知るのであれば、むしろ、少し切り口を変えて、

「夢は挫折を教えてくれる」

「夢は人生を支えてくれる」

夢の中に包み込まれている汗や涙や、あるいは流れるかもしれない血さえも、見せることが、大切なのではないかと思います。

 

さて、改めて伺います。

『夢は』を主語にして、あなたは何を続けますか?

「夜開く〜」