〈術〉から〈道〉への《コミュニケーション》

《コミュニケーション》とカタカナで表記されるということは、この言葉が、本来、日本にはなかった概念であることを示しています。

また、明治維新以降、【和魂洋才】を合い言葉に欧米の思想、技術を取り入れようとする日本人の姿勢が、今も継続していることを顕著に表している言葉でもあります。

しかし残念ながら、《コミュニケーション》は、いまだに日本の文化になっているとは言えません。

 

「現代は、《コミュニケーション術》を身につけなければならない時代である!」

一つ、アイコンタクトを忘れるな。

一つ、ジェスチャーを交えよ。

一つ、スピーチにおいては、入念なリハーサルを行え。

日本人は、やはりカタカナ語で表記された言葉をテクニックとして体得しようとしますが、このスローガンは、何年も掲げられたままです。ということは、日本人のコミュニケーション能力は、まったく向上していないのではないかと思わざるをえません。

 

なぜ、そうなってしまったのでしょうか?

それはおそらく、《和魂》が忘れられているからではないかと思います。

つまり、日本人の精神性を表す〈道〉が付けられない限り、〈術〉、すなわち〈コミュニケーション術〉の日本での発展はないということです。

たとえば、剣術は剣道、柔術は柔道、武術は武道、というように、〈術〉は〈道〉として究められて、はじめて日本の文化となり得るということです。

その他、日本独自の、忍術、幻術、奇術、詐術、詭弁術も、〈道〉が付いて……

すみません。

どう(道)にもならなくなりました……