《コミュニケーション》とカタカナで表記されているということは、この言葉が、本来、日本語にはなかった概念であることを意味しています。
ですから、本家本元の欧米人のような《コミュニケーション》能力が簡単に身につくはずはありません。
だからといって、放置しておけることでもありませんが、それほど心配することもありません。
カレーやラーメンが日本で独自の発展を遂げたように、《コミュニケーション》能力も、日本独自の発展を遂げるように思われるからです。
ただ、そためには、それなりの工夫と試行錯誤が必要でしょう。
闇雲に欧米人のまねをするのではなく、日本の言語慣習を基に、どこに焦点を当てて、どのように改革、実践していくか、ということを考えることが重要です。
それによって、欧米人と対等に渡り合える、日本独自の《コミュニケーション》術を確立することができたらいいのではないでしょうか。
この考えは、
「天狗になってんじゃねえぞ!」
と、おっしゃった方との会話がきっかけになって出てきました。
欧米をお手本にした《コミュニケーション術》を記した書籍を何十冊と読むよりも、とにかくいろんな人と、いろんな会話を試みることが、《コミュニケーション能力》を向上させてくれるのではないかと思います。