たとえば、朝、身体の健康な人が、背後から不意に、
「どう? 心臓は」
などと言いながら、心臓に持病のある人の後頭部を丸めた雑誌で叩いてくれます。
「心臓、止まるかと思いましたよ」
と言っても、
「生きてる証拠!」
その他、
「どう? 糖尿は」
「どう? 血圧は」
「どう? 痔は」
などと、無神経に聞きます。
あたかも、それが思いやりであるかのように……
常に他者を思いやる気持ちを持っている人が健全な魂の持ち主だとすれば、身体的に健康な人が健全な魂の持ち主だとは限りません。
いえ、不健康な魂を宿した人間でさえあると考えられます。
ですから、月曜の朝一番に、無神経な言葉を投げかけられたら、
「そちらこそどうですか? 魂は」