いくつかのバリエーションはあるにしろ、クイズ番組が途絶えないのは、やはり豊富な知識が人々のステータスになっているからでしょう。
『無知の知』と言えば?
「ソクラテス!」
ピンポーン!
と正解して、いわゆるドヤ顔(「どうだすごいだろう」と自慢するような表情)をするような人は、本当に『無知の知』を知っているのではなく、『知の無知』に陥っていると言えるかもしれません。
いちばんいいのは、『知の知』でしょうが、そんな方は、おそらくいらっしゃらないかと思います。
昔は、豊富な知識がある人は、〈生き字引〉などと呼ばれて敬われていましたが、情報が溢れる現代社会において知識競争に参加するのは、自分の『無知の知』を再認識することになるだけのことかもしれません。
いえ、認識することさえなく『無知の無知』という方も少なくないかもしれません。
うっかりすると『知の恥』『無知の恥』なんてことになりかねません。
落語では、知ったかぶりをするとひどい目に遭うという噺がありますし、町内の生き字引と敬われるはずの甚平さんも『町内の生き地獄』になってしまいます。
その甚平さんが、
「問うは当座の恥、問わぬは末代までの恥」
てなことをおっしゃいます。
いちばんいいのは、『無知の恥』を装って、
「恥ずかしながら、それ、教えてください」
と、教えを請う。
加えて、
「いやあ、さすがは部長! 何でも御存知ですねえ」
なんてことを平然と言える奴が、案外出世するんだ……
てなことを真に受けて何年も実践しているつもりなんですが、どうして私はいまだに出世していなんでしょう……
(え? 装うふりする『無知の無知』は『無知の無恥』……?)