「マスコミを懲らしめる……」
てな発言が物議を醸しているようですが、世の中の何かを、あるいは誰かを懲らしめていいのは、水戸の黄門様だけです。
「助さん、格さん、少し懲らしめてやりなさい!」
との黄門様の指示によって、助さんと格さんは腕力に訴えて庶民を苦しめる悪人どもを懲らしめるわけですが、頃合いを見計らって、
「もういいでしょう」
と黄門様がおっしゃると、
「ええい、控え控え! このお方をどなたと心得る……」
と、お裁きの始まりとなります。
よく暴れておられた八代将軍も、最後に、
「成敗!」
と忍びの二人に命じられておられました。
つまり、それまでは黄門様と同じく、私腹を肥やす悪人どもを痛めつけて懲らしめておられたというわけです。
でも、現代の〈懲らしめる〉は、
『成敗できない人々、たとえば法に触れている訳ではないけれど、何となく増長しているんじゃないのか……』
という輩に対して使われているように感じます。
とはいえ、増長している誰かを懲らしめようという発想を持つこと自体が、増長している証拠のようにも思えます。
ですから、
「増長している誰かを懲らしめようと言ってる方も増長しているから懲らしめなければならない」
「と批難するお前も増長しているから懲らしめてやる……」
「そういうあんたも……」
たとえば、会社の上層部でこんな〈懲らしめる〉騒動が勃発したあげく、次々と左遷される役職者が増えると、なかなか出世できなかった輩が、
「こら、しめた!」