先日、マクドナルドで昼マックを食しておりましたら、隣の席に座った若い男女の会話する声が聞こえてきました。
どうやら、これから恋愛関係に発展しそうな雰囲気の二人のようで、相互にどんな人間か、語り合っていました。
「オレって、自分好きな人間やから……」
という若い男の言葉を耳にして、思わず少年ジャンプ(集英社)の『ワンピース』(尾田栄一郎さん作)に登場する、キャベンディッシュとベビー5を連想してしまいました。
キャベンディッシュは、自分のことが大好きな自己陶酔型のキャラクターです。
そのキャベンディッシュと、正反対に見えるのが、ベビー5ではないかと思います。
誤解を怖れずに大雑把に言ってしまうと、他者から必要とされなければ自分を不要な存在だと考えてしまうベビー5と、自分が世界一すばらしいと考えているキャベンディッシュの二つのタイプが世の中には存在しているのではないかと思いますが、この二人は正反対のタイプのように見えて、実は一枚のコインの裏表の関係にあるのではないかと、ふと、そのマクドナルドで昼マックを食している隣の席で自分を語る彼を横目に思ってしまいました。
自分が世界一すばらしいのに、その自分を超えるような存在が許せないとうところがキャベンディッシュには見られますが、それは裏返すと、やはり他者からの承認を求めているということになります。
その意味で、キャベンディッシュはベビー5と同じではないかと思います。
中島敦氏の『山月記』の主人公、李徴もそういうタイプですし、松本清張氏の短編小説『水の肌』(新潮社)の主人公、笠井平太郎もそうです。
いずれも、自ら破滅の道を歩むことになりましたが、キャベンディッシュはそうなることはありません。
漫画ではそこが面白いところになっていますが、夢遊病者(二重人格者)であることでキャベンディッシュはバランスを取っているのだと考えられます。
ときどき、
「もしかしてだけれど〜♪ 隣の席の女の子は目の前の自分大好き男より、アタシに気があるんじゃないの〜♪」
なんてことを昼マックを食しながら考えてしまうアタシは、自分が李徴かキャベンディッシュかと思ってしまいますが、目の前でハッピーセットのフライドポテトを手にする例の友人にそんな話をして、
「ああ、ボクは破滅の道を歩むのだろうか……」
なんて言うと、彼は周囲を見回しながら、
「マクドナルド、少しは持ち直してきたのかもしれないね」