キツネとカメとキリギリス

故事成語になっている《虎の威を借る狐》の話では、キツネの小賢しさが強調されていますが、虎に捕まって死ぬか生きるかの瀬戸際にあったキツネの知恵を称賛されるべきではないかと思います。

 

イソップ物語などに登場する《ウサギとカメ》の物語では、一般的にカメが称賛されていますが、カメはそれほどのことをしてのけたのでしょうか?

ウサギに足の遅いのをバカにされたとしても、実際、ウサギには敵わないのですから、そこは超然とやりすごすのが、大人の対応ではないかと思います。

また、油断して寝ているウサギを起こさないように追い抜いてしまうなんて、フェア精神に反します。

この話で非難されるべきはカメをバカにし勝負の最中に油断して寝てしまったウサギとともに、元来、相手にすべきではない相手の挑発に乗り、しかもフェア精神を欠いているカメではないかと思います。

 

《アリとキリギリス》では、夏場にせっせと働いて蓄えのあるアリに助けを求めた、夏場に音楽を奏でて働かなかったキリギリスが責められますが、働くしか能のないアリが芸術家であるキリギリスを扶助するのは当たりませではないかと思います。

 

「これで、《キツネとカメとキリギリス》という、へそ曲がりという意味の新しい言葉ができるんじゃないかな……」

と、例の友人に話しましたところ、

「すでに、漱石という言葉があったように記憶しているんだが、キミの場合、そのままの《キツネとカメとキリギリス》でいいんじゃないか」