《フェルメールとレンブラント》では〈風景画〉〈海洋画〉〈静物画〉〈風俗画〉〈肖像画〉とコーナーが分けられていました。
「どうしてこれをモチーフにしたのだろう……」
などと思いながら、それぞれの絵を観ていましたが、〈肖像画〉だけは、富裕層が後世に残すために描かせたもので、そうしたことを考える余地はないという観念を持っていました。
でも、今回、いくつかの肖像画に触れて、
「ひょっとすると、この人は何か不安を持っているのではないだろうか……」
と思ったり、
「単純に自分を誇るのではなく、何かもっと深い思索や祈りといったものがあるのではないか……」
と感じたりしました。
肖像のモデルであるその人たちの、そうした内面を描き出す画家の洞察力と技量には、改めて脱帽するばかりでしたが、ふと、
「画家が、観る者にそう感じさせるように描いたのではないか……」
という想像も浮かんできました。
そこまで考えて、
「周囲の人たちにそう観てもらえるように振る舞っている自分は、そうした肖像画とすでに同じではないか……」
ということとともに、
「その人物を、周囲の人たちに誤解させるように見せている人もいる……」
ということにも思いいたりました。
それを例の友人に話しましたところ、
「ふふふ…… ばれたか」