気持ちのいいお話には、2種類あります。
一つは、自分が聴いていて気持ちのよい話です。
もう一つは、自分がしゃべっていて気持ちのよい話です。
自分が気持ちよくしゃべって、相手が気持ちよく聴いてくれる話が、もっともよい話ということになりますが、世の中、相手は気持ちよく聞いていないのに、自分は気持ちよくしゃべっていらっしゃる方がおられます。
しかも、そういう人に限って、その点に気づきません。
自慢話がその典型だということを御存知の方は少なくないとは思いますが、実は自分の不幸な話が、自分が気持ちよくしゃべれて相手の気持ちをよくさせない話になっていることに気づいていない人がいらっしゃるようです。
もちろん、不幸な話をすること自体が悪いわけではありません。
問題は、相手が返してくれた言葉への応じ方です。
相手の不幸や悩みを聞かされるほうは真剣に受けてめて、自分の体験の中から助言を試みます。
「それだったら、こんなふうに行動を変えて〜」
「それだったら、こんなふうに考え方を変えて〜」
でも、自分の不幸を気持ちよく語る人は、
「でも、そうしたとしても〜なんですよ」
とか、
「そうなんですけど、それは〜ということでだめなんですよ」
とか、
「だけど、結局〜ことになってしまって、変わらないんですよ」
などと言っては相手を否定し、それによってまた自分の気持ちのよい話を続けます。
聞かされている相手は、なにしろ人の不幸の話ですから、いい加減には聞けないという意識が働きます。
話している方は、相手がしっかり聞いてくれているから疎通が図れているものと勘違いしてしまいます。
その結果、自分を否定された相手が次に話を聞いてくれることは、二度とありません。
「いやあ、アタシには恋人がいないんですよ」
「出会いがないの?」
「いや、出会いはあって、話もできるんですよ」
「じゃあ、話が面白くないんじゃないの?」
「いえ、アタシの話をみんなよく聞いてくれて、アドバイスなんかもしてくれるんですけどね」
「だったら、相手の話を聞くようにしてみたら?」
「でも、みんな、アタシの話をよく聞いてくれるものですから」
「じゃあ、恋人ができてもよさそうなのに」
「でも、それができないんですよ」
てなことを例の友人に話したところ、
「キミは自分の問題点をよく理解しているじゃないか」
「でも、恋人ができない理由は別にあって……」