蟷螂の斧で屠竜の技を磨く

『屠竜(とりゅう)』というのは、「竜を殺す」ということで、

『屠竜之技(とりゅうのわざ)』というのは、

「竜を殺す技は練習しても現実には竜はいないので、その技は役に立たない」

という意味です。

 

『蟷螂(とうろう)』というのは、「かまきり」のことで、

『蟷螂之斧(とうろうのおの)』というのは、

「力のない者が自分の実力を顧みず強者に立ち向かうたとえ」

です。

斉の荘公が狩りに出たとき、その車に蟷螂が斧を振り上げて立ち向かっていたという故事から生まれた言葉だそうです。

 

どちらも〈無駄〉を表す言葉ですが、これらの言葉がずっと残っているということは、これらの言葉は決して無駄ではなく、世の中には『屠竜之技』を遣い『蟷螂之斧』を揮う人が絶えないということかと思います。

 

ただ、荘公は、

「これが人間だったら天下をとっていただろう」

と言ったそうです。

最初にみんなから〈無駄〉だと言われたことを続けた人によって、実は〈無駄〉ではなかったと後から証明されることは珍しくありません。

 

そう考えると、この二つの言葉を合わせて、

《『蟷螂之斧』を持って『屠竜之技』を磨く》

てな言葉ができてもいいのではないかと思います。

 

例によって例の友人に話したところ、あくびをしながら、

「あくびの稽古ができたよ」

と言われました。

《あくびの稽古ができる》

てな言葉もできそうです。

すいません。

またしても落語《あくびの稽古(江戸落語ではあくび指南)》をオチにしてしまいました……