ローカル線の車窓から見える緑の山の中に桜に惹かれます。
『白鳥はかなしからずや空の青海の青にも染まずただよう』
に倣えば、
『山桜はかなしからずや空の青山の緑にそまず咲きけり』
といった形で、仲間のいない境遇に桜の木も孤独を感じているのではないだろうかと、作者の境遇と重ねる解釈がされているかと思いますが、少し見方を変えることもできそうです。
一般に桜と言えば、公園や川辺に並んでいる、華やかに群れ咲く桜をイメージしますが、それらはたいてい人の手によって植えられた木々です。
我々はそれらの桜の木の下で花見に興じていますが、山中、緑の中にポツンと咲いている桜こそ、ほんとうに愛でるべき花ではないかと思います。
他の木に混じって自生する桜は、人間を喜ばせるためでもなく、また、人間に頼ることなく、そこにただ一本、咲いているわけですから、毅然と生きる強さをその桜に感じ取ることも可能です。
そう考えると、
『山桜は毅然なるかな空の青山の緑にそまず咲きたり』
と詠み変えることができます。
若山牧水さんの短歌も、
『白鳥は毅然なるかな空の青海の青にもそまずただよう』
なんて、勝手に変えたら、非難囂々……
いえ、何より、泉下の若山牧水さんに怒られそうな気もします。