一時ほどではありませんが、『自分探し』をされていらっしゃる方は少なくないかもしれません。
でも、『自分探し』をして自分が見つかったという人の話は、寡聞にして耳にしたことがありません。
自然と人間は対立するものだという西洋の考えとは対照的に、自分は自然の一部であるという意識、いえ、そんな意識さえ持つことなく自然とともにあった日本人には、もともとできない発想ではないかと思います。
今、そこに自然とある自分が、あるいは現在その場に確かに存在する自分が、まぎれもない自分ではないか、と思います。
つまり、日本人の『自分探し』は『ないもの探し』です。
とはいえ、見つかったら面白いことになるかもしれません。
本来、自分はこうであるはずだ、というところに行きつくと、それを発見した自分は何者なのか、ということになりますが、それはあたかも、お前がすぐそこで行き倒れになっている、と言われて急いでそこに行ってみると、確かにそこに行き倒れている自分を発見し、その行き倒れを抱き上げながら、抱き上げている自分は誰なんだという疑問を口にする……
確か、江戸落語に似たような噺があったような……
なんて偉そうにこのブログを書いているアタシも、果たして確かにアタシなんでしょうか……