カフカ氏の『変身』では人間が虫に変じ、中島敦氏の『山月記』では人間が虎に姿を変え、狼男は月を見て狼に変身し、道成寺の娘は大蛇になってしまいます。
あまたの変身物語が語るところは、時を超え場所を違えても、人間は不条理な存在であるということではないかと思います。
でも、現実社会では、女性は猫にも蝶にも狐にも姿を変え、男は誰かのイヌになるか、タヌキに化けるか、あるいはただのケダモノに堕してしまいます。
おだてられたらブタにもなって、失敗すれば木から落ちたサルとなり、それで社会や自分に嫌悪したり誰ともしゃべりたくなくなったりすると、貝にさえなります。
現実社会そのものがすでに不条理で理不尽なら、改めて不条理を物語にするまでもないとは思いますが、逆にだからこそ不条理な変身譚が必要なのかもしれません。
イヌとしてさんざん働かされて、いざとなったらトカゲの尻尾のごとく切り捨てられたのでは、オオカミに変身して逆襲したくもなります。
蝶のようにおだてられ、ネコのようにかわいがられていたのに、ぽいっと捨てられたら、大蛇に変じて復讐したくもなります。
就職活動で企業から、
「あなたを動物に例えるとしたら何ですか?」
と面接時に問われることがあるそうです。
「あなたを動物に例えるとしたら?」
「ライオンです」
「ライオン? どうしてですか?」
「さだまさしさんの歌の『風に立つライオン』でありたいと思うからです」
「おお!」
と、そのときは面接官から感動の声が上がったけれど、それで不採用だなんて、世の中は不条理だ、と嘆く学生に、その友人らしき学生が、
「だから、ネコを被れと言っただろ」