腐ったみかん

教育評論家の尾木さんが、公私混同も甚だしい舛添東京都知事を、〈腐ったみかん〉と評したという話に触れて、中学生のころに、朝礼で同様の話を先生がされていたことを思い出しました。

 

〈腐ったみかん〉というのは、元々、教育関係者の間で使われていた比喩表現かと思います。

規律を乱す一部の生徒を一個の〈腐ったみかん〉にたとえて、それがやがて全体を腐らせる、という意味かと思います。

かつての人気学園ドラマ『金八先生』でも、この言葉を使ったやり取りがあったようです。

 

でも、腐ったみかんをどれだけ取り除いたとしても、いずれはみんな熟して腐っていくわけですし、教育でも政治でも、しょっちゅうそれらに関わる醜聞が報じられるということは、みかんに限らず、何事であれ、基本的には腐っていくのが当たり前なのではないかと思います。

 

ただ、みかんはともかく、人間の場合、注意しなければならないのは、自分が腐っているのではないかという点に気づくかどうかというところかと思います。

「お前の根性は本当に腐っているぞ」

「根性の腐ったお前にだけは言われたくない」

なんてやりとりを面白がっている自分も、実はかなり腐っているのではないかと思います。

 

ちなみに、落語に、夏になって、ただ一つだけ腐っていなかったみかんに、千両という値段がつく『千両みかん』という噺があります。

他がすべて腐った中で、腐らなかった一つに千両という高値がつくわけですから、周囲が腐っていく中で、自分だけは腐らないぞ、というところを見せる方がかっこいいのではないかと思います。

 

どんなに腐った環境にあっても、腐らずに自分のやるべきことをこつことやっていると、いずれ高値がつく日も訪れるでしょう。

 

くだらないオチばかりをつけるネタの中にあって、たまにそんなオチのないブログを書いてみると、案外高値がつくかも……

 

てなことを、例の友人に話しましたところ、

「キミの場合、最初から全部腐っているからなァ……」