視線と目線

『目線』という言葉が使われだしたのは、割と最近のことだと認識しています。

 

「子供の『目線』で見ると……」

「お客様の『目線』で見て……」

「上から『目線』で見られると……」

「シカ『目線』で書かれた本」

は、拙著の宣伝文句で恐縮ですが、個人的には、

「シカの『視点』で書いた本」

でございます。

 

「子供の『視点』」「客の『視点』」などとは言いますが、「上から視点」とか「上から『視線』」とは言いません。

また、

「『視線』を感じる」

とは言いますが、

「『目線』を感じる」

とは言いません。

「熱い『視線』を向ける」

とは言いますが、

「熱い『目線』を向ける」

とは言いません。

 

『視点』という拠点があるから、確かな『視線』が向けられ、さらには感じられるのではないかと思っていますが、『目線』には『目点』などという拠点はありませんから、どうにもアタクシには頼りない言葉に思えて仕方ありません。

でも。このまま『目線』という言葉が『視点』を凌駕するようになると、世の中のモノゴトを見る拠点を失ったまま、アタクシの〝目が点になる〟のではないかと……

 

(そんなくだらないオチを言いたいための話だったのか〜! もっと読者『目線』で書け〜!)

 

いえ、ですから、アタシは読者の『視点』で……

だから、非難の『目線』は…… いや、『視線』は向けないでくださいって……