ストレスを緩和する笑顔の功罪

大相撲の大関で、今場所、優勝すれば横綱に昇進するであろう稀勢の里関は、安定して好成績を挙げはじめた先々場所から、うっすらと笑顔を浮かべて勝負に臨んでいます。

中継のアナウンサーや解説者も話題にしていますが、緊張をほぐすための策ではないかという、舞の海さんと同じ見解をアタシも持っています。

 

短距離走で、アメリカの選手などがゴール手前で笑顔を見せるのも、最後に力を出し切るためだというような話を耳にしたことがあります。

 

仏像の如来や菩薩も、神秘的な笑みを浮かべていらっしゃいます。

 

緊張を緩和する方法の一つとして、

「楽しめ」

と、よく言われますから、そのために笑顔という形を先に作るのは、決して悪いことではないと思います。

 

また、笑顔は、接客や人間関係を構築する基本でもありますから、ここ一番というときに限らず、いつも笑顔を忘れないということを習慣づけることは、悪いことではありません。

ただ、それが自分を隠す仮面になっている場合も、少なからずあるかもしれませんし、なにより、日本の社会が笑顔の習慣に馴染んでいないようにも思います。

相撲の解説者の中にも、稀勢の里関の笑顔に違和感を覚える方もいらっしゃるようです。

 

先日、上司に注意されているときに、アタシもストレスを緩和するためにうっすらと笑顔を浮かべましたところ、

「何をへらへらと笑っているんだ!」

と、火に油を注ぐ結果になってしまいました。

そこで素直に謝ればいいものを、つい、

「面白くなってきやがったぜ」

と、つぶやいてしまって……

 

例の友人にその話をいたしましたところ、

「日本の社会に笑顔の習慣が馴染んでいないのではなく、キミの方が社会に馴染んでいないことに、早く気づくべきだろう」