「自分は何者なのか?」
「自分の存在意義は何か?」
といった問題を解決しようと、日々、あれこれ考えている方は少なくないのではないかと思います。
考えているというよりも、それが苦悩になっているという方もいらっしゃるのではないかと思います。
一方で、生物の中における人間の存在に目を向けて、
「人間だけが複雑な思考ができるのだから、生物の中では人間がもっとも偉い」
と、考える向きがあるようです。
ということは、自分は何者か、とか、存在意義は何か、とか考えている時点で、他の生物とは違う存在意義がある、ということになるかと思います。
でも、もし、考えるという行為を人間以外の生物ができないのであるとすると、考えることができるから人間は特別なんだという考えは、人間だけの勝手な判断でしかない、ということにもなります。
もしかすると、自分とは何か、自分の存在意義とは何か、てなことを改めて考えなくても、そんなことは他の生物の遺伝子にはとっくに組み込まれているのかもしれません。
どういうわけか人間だけにそれが欠落していて、それであれこれ考えるようになったのかもしれません。
ということは、
「自分は何者なのか?」
「自分の存在意義は何か?」
といったことについて四の五の考えずとも、誰であれ、他の生物のように存在しているだけでいいように思います。
………………。
(これで終わりか? 今回はオチはないのか? もっとちゃんと考えろ!)
ですから、考えるという行為自体が、生物としての欠落の証明で……
「キミの場合、他にもたくさん、欠落しているじゃないか……」
もう、考えるの、やめ〜!