落語の面白さは、笑いだけではありません。
会話の受け答えのお手本にもなりますから、人前で話すことを生業とする方も、よくお聞きになっています。
同時に、対人関係に関する示唆も少なくありません。
たとえば、お馴染みの『ちりとてちん』では、素直に自分の無知を見せる人は親しまれて何かと得る物が多く、知ったかぶりをして相手をけなす輩は、長崎名物と偽わられて腐った豆腐を食わされます。
ざまあみやがれ、と落語を聞いている方も、胸のすく思いになるのではないかと思います。
あまり知られてはいませんが、『猿丸大夫(江戸落語・猿丸)』という落語も、知ったかぶりを笑い者にする噺です。
高尾山に紅葉狩りに行った者が帰りに駕籠にのり、駕籠かきから、
「歌もできたでしょう」
と言われて、
「奥山に紅葉踏み分けなく鹿の声聞くときぞ秋は悲しき」
と、いかにも自分が作ったようにそやつが口にすると、
「わしらにはよう、わかりませんが、面白そうにございますな」
そう言った駕籠かきが、そやつをおろしたところで仲間に、
「よい客を乗せたか」
と問われて、
「猿丸大夫さんじゃ」
知ったかぶりをする者は、自分の知らないところで恥をかいていることに気づきません。
てな噺を、本日の《三題噺の会》のマクラで披露しようかと思っているということを例の友人に話しますと、
「キミの場合、長崎土産を自分が食べさせられるかもしれないということに、まず、気づくべきだろう」