『他人の人格について語るときほど、自分の人格を露呈することになります。』
という言葉を残さはったんは、障害を持って生まれ、のにち社会福祉活動に尽力されたヘレンケラーさんです。
相模原市で発生した障害者施設での殺傷事件で、
「役に立たない障害者はいなくなればいい、といった風潮がありますが……」
てな主旨の報道が、昨今、目につきます。
それについて、尊厳やとかなんやとかを世の中にもっと知らせなあかんのんとちゃいまっかぁ〜、てな御正論も述べられているようでおますが、事件の容疑者のような思想をお持ちの方には、
「『他人の人格について語るときほど、自分の人格を露呈することになります。』なんてことを、あのヘレンケラーさんが言うてはったそうでんねんけど、いやあ、あんさんは、立派なお方でおまんねんなぁ…… ほな、なんでおますか。病気や事故が原因で、あるいは年をとって自分が役立たずになったら、あんさん、自分からいなくなる覚悟がある、っちゅうことでんねんなぁ……」
てな感慨を述べる方がええんやないかと思うております。
ほんまは、
『役に立つか立たないか』
を、物事の判断基準にしているところが、間違うているようにも思います。
中国の思想家、老子の、
『無用の用』
は、
「な〜んにもないように見える、器の空間こそが必要なんや。そやさかいに、世の中、役に立たへんもんはないんとちゃいまっか〜」
とカッパしはった言葉でおますさかいに、役に立つか立たんかをすぐに決めておしまいの方には、
「老子の『無用の用』と言葉がありまんねんけど、あれは役立たずやこれは役立たずやと言いきれるあんさんは、老子以上に偉いお方でおまんねんなぁ……」
てな感慨を述べてもええんやないかと思うております。
なんてことを例の友人に申しましたら、アタシの口調を真似て、
「いやあ、あんさん偉いお方でおますなぁ…… けど、あんさん、確か、自分のことは棚に上げるのん、得意でおましたなぁ〜」
てなことを言われましたんで、さすがのアタシも腹が立って言い返してやりました。
「得意やない。信条や……」