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愚者の論理

愚公移山』という四字熟語があります。

〈怠ることなく努力を重ねると、必ず成し遂げることができる〉

という意味を表す言葉で、

 

『二つの山のために家の出入りに長年苦労していた、九十歳になろうとする老人、愚公は、この二つの山を入り崩そうと考えました。

老人の身でそんなことができるわけがない、とあざ笑う者も周囲にはいましたが、愚公は、子や孫、あるいはその子孫の代までかかればいつかはできると言って山を崩し始めました。

それに感じた天の神様が、山を移動させました』

という故事に基づいています。

 

「家の出入りに困っているなら、わざわざ山を崩さなくても、引っ越せばいいじゃないか」

とか、

「山が家の出入りの妨げになることぐらい、最初からわかっているんだから、そのときに違うところに住めばよかったんだ」

とか、おっしゃる方は、愚公に対して、

「ほんとうに愚かな奴だ」

と、一言、付け加えるかもしれません。

 

世間には、案外、こんな方が多いようにも思います。

たとえば、相談に来た部下に、あるいは悩みを聞いてもらいたい妻に、その経緯や背景、心情などを知ろうとすることなく、ただ解決策を示すだけで、

「これくらい、自分でなんとかできるだろう」

と、宣いながら、心の隅で、

「ほんとうに愚かな奴だ」

と、一言、付け加えているかもしれない方々です。

 

これが昂じると、他者をむやみに見下して自分が賢明であることをアピールする輩になるように思います。

他人を愚か者と蔑んで自らを賢者とする者こそ、実は愚者ではないかと思います。

 

この説で申しますと、

「いつも人を愚か者呼ばわりして自分は賢者だと称するあいつこそ、愚ろ者だ」

と思った途端、自分も愚者ということになります。

 

反対に、ほんとうに賢い人は、自分は愚か者だという思いを持って、常に人を敬う姿勢を忘れない方ではないかと思います。

 

そんな話を例の友人に語って、

「アタシは愚者ですよ〜」

なんて言いましたら、

「確かに、キミは落語によく出てくる人物を連想させてくれる」