『愛宕山』という落語で、旦那や色町の芸妓や舞妓と一緒に愛宕山に登る道中、太鼓持ちが皆の弁当を持ちますが、そのときに太鼓持ちの口から、
《我がものと思えば軽し傘の雪》
という言葉が出てきます。
太閤秀吉公から鶴を預かっていた人が、あるときこの鶴に逃げられてしまい、それを正直に秀吉公に話したところ、
「逃げたと言っても、唐土(中国)に逃げたわけではあるまい。我が朝(国)にいるならば、わしの鶴に違いない」
という主旨の言葉を口にして許した、という逸話が古典に残っています。
一億円を札束にすると、10キロになるそうですから、それぐらい重い物を持たなければならないようなときには、
「なんでこんな重い物を持たなあかんねや」
と不満を口にするよりは、
「我がものと思えば軽し一億円」
てなことを明るい調子で口に出しながら持つと、案外楽しくなるかもしれませんし、周囲の人、特に女性が、
「ああ、この人、ステキな人やわぁ」
てなことを思ってくれるかもしれません。
そこから恋が芽生えて、休日に、
「ちょっとお買い物に付き合って……」
なんてことになっても、
「荷物をぎょうさん持たされて、日曜日でもおちおち休んでいられまへんわ……」
てな愚痴をこぼすこともなく、
「我がものと思えば愛し彼女かな」
そんなこんなで結婚して嫁はんの尻に敷かれても、
「我がものと思えば軽し女房かな……」
でも、あんまり嫁はんに軽く扱われると、
「我がものと思えど軽い我が人生……」
いえ、
「我がものと思えど重い我が人生……」
かも……