『禍福は糾える縄の如し』
という言葉の意味は、
〈災いと幸福は表裏をなして訪れる〉
で、
『人間万事塞翁が馬』
と同意です。
「まあ、ええことがあってもあんまりはしゃがず、悪いことがあってもそないに嘆かんでもよろし……」
てなもんです。
『禍福無門』
という四字熟語は、
『禍福門なし、唯だ人の招く所』
という言葉が基になっているようで、これは、
〈災いも幸せも、みな自分自身で招き寄せるものである〉
てな意味になりまして、そう考えると、迂闊なことはでけまへん。
『知慮は禍福の門戸なり』
なんて言葉もございまして、これは、
〈なまじ思慮分別を働かせるから、人間は禍福に見舞われるようになる〉
という意味で、そしたら、
「禍福は順番にやってくるもんやさかい、先週、ハナちゃん振られたけど、今週は女の子にもてるかもしれへんなぁ……」
とか、
「八方美人で女の子にもてようなんて思う心が、ハナちゃんに振られる原因になってるんや。ここは、ハナちゃん一筋でがんばろ……」
とか、思うのではなく、
「そないなややこしいことを考えるさかいに、禍福が訪れることになるんや。そんなもん気にせんとなんもせえへんかったら、禍福なんて起こらへん…… でも、ハナちゃん……」
「いったい、どないせえちゅうねん!」
なんてことになってしまいます。
ちなみに、中国故事名言辞典(角川書店)の
『禍福は糾える縄の如し』
の前には、
『可不可は一条』
〈よいことと悪いこととは分ちがたい〉
がありました……
んなもんをつらつら読んでおりますと、落語に出て参ります喜六ような生き方が、いちばんええようにも思えてきます。
でも、シアワセになりたい月曜日のア・タ・シ……