【猫の皿】と『孟母三遷』

「落語【猫の皿】を聴いて浮かんだイメージを絵に描かせてみるというような、ゆとりのある教育があってもよいのではないか、という考えについて意見を述べよ」

というお題を、留五郎さんよりいただきました。

 

「環境が、子供の教育に悪い影響を及ぼすことをおそれて、孟子の母親が、墓地の側から市場へ、そして学校の側へと、三度住居を移したという故事から生まれたのが『孟母三遷』ですから、それに従えば、落語【猫の皿】を聴かせて浮かんだイメージを描かせると、詐欺師になるかもしれませんし、これが落語【算段の平兵衛】なら、悪党になるやもしれません。かといって、誰ぞに何ぞ教わって真似をしてはしくじって笑われる喜六が登場するアホな噺ばかりでは、アホな大人にしか育たんようになってしまうということになります。

 

そんなことなら、名作と言われた小説、たとえば芥川龍之介さんの『蜘蛛の巣』を読ませて絵を描かせると、蜘蛛の糸が切れてしまったところで、にこやかな表情で何事もなかったかのように歩き始めるお釈迦様を描いたり、無念の表情を残して再び地獄の血の池に沈んでゆくカンダタを描いたりしてしまうのではないかと思います。

 

ですから、良い子にゆとりのある教育をほどこすためには、そうした黒い部分は一切見せないような……

 

留五郎さん、アタシに難しい問題を出すのはやめてください!