人間の体の一部を使った慣用句を、学校で習い、受験で覚えたという方も少なくないかと思います。
『頭が下がる』
から始まって、
『足元にも及ばない』
まで、頭のてっぺんから足の先まで、それぞれ数も多く、いい言葉もたくさんありますが、体の中心にあってもっとも大切であるはずの〝へそ〟だけが、どういうわけか、軽んじられているように思います。
たとえば、
『へそが茶を沸かす』
とか、
『へそを曲げる』
とか、どうして〝へそ〟でないといけないのか、というところで使われています。
落語の中で申しますと、たとえば、【宿替え】では、
『ブタにヘソなめられた夢を見た』
と言い、【腕食い】では、
『夜中にヘソから煙り出す』
などと言った、やはり荒唐無稽な、あるいはよく言えばシュールレアリズム、超現実主義を象徴するような、換言すれば、理不尽な扱いを受けています。
『へそが茶を沸かす』
という言葉の出典は、どうやら歌舞伎、浄瑠璃といったところからのようですが、そうした芸能を笑いに転用しております落語においては、どうもそのあたりから理不尽な扱いに及んだのかもしれません。
「とは言え、やっぱりいちばん大事なものは、
『へそくり』
として隠されていますよね……」
なんてオチをつけながら、なんぞのときに若い女性なんかにお話しいたしますと、案外、感心されるのではないかと思います。
「へえ、そう」
(ドン引き〜!)