『ときうどん』の清八と喜六は、うどんを座って食べていたのか、立って食べていたのか?

昨日、伝楽にて柱祭蝶師、五月家ちろり師の二人会が初めて開催されました。

祭蝶師、ちろり師がそれぞれ二席、演じられた上に、祭蝶ちろりミニライブまでやってしまという、もうやりたい放題の落語会?でした。

一応、ミニライブを始める前に、ちろり師が、

「落語会だけでお帰りになりたい方は、ここで出られてもかまいませんよ〜。目ぇ、閉じてますから……」

と、両手で目を覆う前を、いったい誰がこっそり帰れますでしょうか……

 

終演後は、例によって打ち上げとなりましたが、そこで面白かったのが、上方落語

『ときうどん』(江戸落語では『ときそば』)を巡る議論でした。

落語のマクラを巡る某テレビ番組で、上方落語協会の某会長が、

「『ときうどん』の清八と喜六は、座って食べているイメージがある」

と発言したことについて、

「立って食べていたのではないか」

てな疑義が提示され、

[時代劇では座って飲み食いしている]

という論拠も挙げられましたが、

[江戸時代の屋台で床几(腰掛け)を一緒に運ぶことは難しい]

[江戸時代の文献には立って食べている絵が描かれている]

[支払額を誤摩化して逃げるつもりでいる二人が座っていたのでは逃走に時間がかかる]

なんて意見から、

《『ときうどん』の二人は、立ってうどんを食べていた》

という結論に達し、

上方落語協会の某会長は、実は古典落語について、あんまり考えてへんで……」

てな、畏れ多い発言も飛び出しました。

 

まあ、『ときうどん』で登場人物が立って食べていたのか、座って食べていたのか、なんてことは、世界情勢にも日本経済にも、もっと言うなら、皆様方の人生に何ら影響することのない、実にくだらない論題でございます。

 

でも、何が必要でどうすれば効率がよくなるか、なんてことばかりを考えて笑いのない毎日を過ごすよりは、たまには、こんなばかばかしい議論を笑いながら交わすのもいいのではないかと思います。

 

え?

(あほなことを毎日やってる自分を正当化するな!)

 

そないにおっしゃるのでございましたら、拙ブログなどお読みにならなくてもかまいません。

アタクシ、こないして、両手で目ぇを覆っておりますから……

あ!

あかん!

アクセス、止めたらあかん!