初場所十四日目の昨日、横綱白鵬関が貴乃岩関に破れて、千秋楽を待つことなく、稀勢の里関の初優勝が決まりました。
多くの相撲ファンは、好調とは言え、まさか幕内下位の力士に横綱白鵬が土をつけられるとは考えてもいなかったと思います。
ただ、立ち会いは、いつものような鋭い踏み込みではなく、張り差しやかち上げもなく、まわしを取りにいって果たせぬまま、土俵際で粘ることなく土俵を割った相撲を見ておりますと、稀勢の里を優勝させるためにわざと負けたのではないかと思ってしまいます。
一年前に琴奨菊関が、そして先場所、豪栄道関が優勝したときにも、そんな思案があったのではないかと思っておりますが、考え過ぎでしょうか……
『未だ木鶏たりえず』
という、1939年に連勝が止まったときに双葉山が電報を打ったときに用いた言葉は、 かつて白鵬関自身も口にした言葉ですが、もし、白鵬関がそうした情け相撲を密かに実践しているのだとしたら、白鵬関が木鶏たりえることはありません。
でも、それならそれで、何事にも動じることのない木鶏のごとき人間であるという意味ではなく、
『常に木鶏たりえず』
という心もあっていいようにも思います。
それを例によって例の友人に話しましたところ、
「キミの場合、それは、ちょっとしたことですぐに動揺する自分の言い訳だよね……」
そんなあほな話はさておき、
「稀勢の里関、優勝おめでとうございます!」