スイーツを食べている人が、
「クリームが手についた」
と言うと、隣の席に座っていた人が、
「手がクリームについた」
というやり取りに接しました。
多くの電車では、
「まもなく、ドアが閉まります」
とアナウンスしていますが、まれに、
「まもなく、ドアを閉めます」
とアナウンスされることがあります。
「皿が割れた」
「私が皿を割った」
「ランナーが走った」
「ピッチャーが走られた」
「資金がなくなった」
「私が資金を使い果たした」
多くは、それぞれの立場を擁護するような責任の所在に関わる表現として注目されますが、新たな視点を持つという観点として焦点を当てることも可能かと思います。
「歌がヒットした」
「歌手が歌をヒットさせた」
「詞がよかった」
「曲がよかった」
「プロデュースがよかった」
「タイミングがよかった」
「新商品が売れなかった」
「作成者が売れないものを作った」
「販売員が売り切れなかった」
「社長が判断を誤った」
「タイミングが悪かった」
いろいろ主語を変えて考えていくと、次の一手も見えてくるのではないかと思います。
これは、仕事だけではなく、人生においても言えるのではないかと思います。
「相手が悪かった」
「私が悪かった」
一方に偏った見方ではなく、双方をバランスよく考えることが、大切ではないかと思います。
これを、例によって例の友人に話しましたところ、
「その結果が、キミの人生ということだね」
と言われましたので、
「私の人生が、この結果を招いたと言ってもらいたい」