演者作者として落語講談に関わっていながら、昨日、初めて歌舞伎を見に参りました。
『大阪松竹座 新築開場二十周年記念 二月花形歌舞伎』
演目は、
『義経千本桜 渡海屋大物浦』
『三人形』(踊り)
で、太夫の語りから音曲、大向こうからかかる声に至るまで、芝居を引き立てる音楽に感銘いたしました。
また、現代では死語と思われるような言葉、表現を耳にするだけで、アタクシ、何だかうれしくなってしまいました。
また、なんとなく存じておりました渡海屋の、実は壇ノ浦から安徳天皇と生き延びていた平知盛が、最後に己の身に碇の綱を巻き付け、その碇ともに海に身を投げるという有名な見せ場も目にいたしましたのも非常によろしゅうございましたが、帰宅いたしてまして、夜、京都テレビの『必殺仕事人Ⅴ』を見ておりましたら、その、知盛の最期のシーンがあり、どうしてアタシがなんとなく知っていたのかということが、わかってしまいました……
「落語講談に携わる者は、歌舞伎を見ておかなければならない」
とは昔から言われておりますが、別に生の歌舞伎でなくても、昔の『必殺仕事人シリーズ』でもいいのではないかと……
例によって例の友人は、
「キミの場合、だから残念な落語講談になっているんだ!」
アタクシ、反論いたしました。
「それは、必殺仕事人のせいではない! 能力の問題だ〜!」
(やっぱりそうか……)