湖池屋の、女子高生がアカペラで歌うコマーシャルは、実に迫力があって非常にインパクトがあります。
自動販売機の左右に分かれて座る鳶職と営業のサラリーマンの、
「俺にはできねえな……」
と互いに思うGEORGIACAFEの缶コーヒーのCMには共感を覚えます。
桃太郎や金太郎、浦島太郎といった昔話のヒーローが…… あるいは、白い犬の家族が…… という携帯電話会社のコマーシャルは、設定とストーリーによってシリーズ化されていて、連作のショートショートを見るような感覚を視聴者に与えます。
コマーシャルが入るとチャンネルを変えられる可能性がありますが、逆に、このコマーシャルだから何度でも見たい、と視聴者に感じさせることができたら、そのコマーシャルは一つの作品として成功したと言えるのではないでしょうか。
インパクトを与えるか、共感を感じさせるか、ストーリーを見せるか……
コマーシャルの手法は、人間関係において自分の存在をアピールする方法にもなるかと思いますが、わかっていても、アタクシの人生、なかなかうまくいきません。
そんな話を例の友人にいたしましたところ、
「アピールをしないことも、一つのアピールになるんだよ」
と言われまして、アタクシ、目から鱗の落ちるように思いまして、
「確かにそうだ。ボクは今まで、自分をアピールすることばかり考えていたからいけなかったんだ。アピールなんかしなくても、口コミで広がっていくこともあるんだ」
「もちろん、キミの場合、それに価する中身がない、という問題点が、大前提としてあるけれどね」