「記憶にありません」
という台詞は、かのロッキード事件で有名になり、記憶に新しいところで言えば、あの号泣県議も用いておりました。
元々はアメリカ生まれの話術の一つのようですが、
「知りません」
「存じません」
いわゆる、
〈知らぬ存ぜぬを通す〉
〈白を切る〉
なんて言われる、日本の表現と類似するものかと思われますが、本当にそんな記憶はない、知らない、という場合もあるかと思います。
自分に都合の悪い見解やコメントを求められて、
「担当者がいない」
「推移を見守っている」
「事実関係を確認中である」
なんて台詞もよく耳にいたしますが、
「記憶にない」
「知らぬ存ぜぬ」
すべて、真実を語らないための話法であるということは、周知のことと思います。
その他、
「改めて記者会見を開く」
というのも、最近話題になった、元知事のI氏や学校法人認可申請を取り下げたK氏の、いわゆる時間稼ぎ的手法や、あらにK氏の話法で言うなら、質問には答えず自説ばかりを主張するといった技法、あるいは、
「そういうあんたは、どうなんや!」
と、相手を責めることによって話をそらすなど、公になっては都合の悪い真実を語らないための話法、裏返すと、真実は語らないけれど嘘をつかないためのための話法はいくつもあります。
ただし、これらを使用した結果、信用を失った人は、枚挙にいとまがありません。
そうそう、その手の台詞がもう一つありました。
「二人で過ごした時間を思い出してくれ」
「私、過去は忘れる主義なの」
これを、
「調査の結果、こういう事実が判明しているが、きっちりと説明してもらいたい」
「私、過去は忘れる主義なの」
なんて具合に、問題の渦中の人が、公の場で語ると面白いだろうな、と密かに思っております……