今日の『サワコの朝』(MBSテレビ)のゲストは、フリーアナウンサーの夏目三久さんでした。
小学生のころに本読みでほめられてアナウンサーを想い、身体で何か表現したいという思いから中学高校で新体操部に入り、大学では当時、小物が流行したベトナムに関心を持ってベトナム語を学び、そこで教授から、
「外国語の上達は、日本語の習熟度に比例する」
と言われて、ゼミでは日本文化を専攻した結果、日本語を活かせる職業として、小学生のときに思い描いたアナウンサーを選んだそうです。
「人生は、つながっている」
ということを、まさに体現されているようなお話でした。
欧米の文化の発想の根底には、繋がりではなく、区切ることがあるようにあるように思います。
明確に区切って、場合によっては敵対する。
自然の中に住む日本人とは反対に、自然を制しようとする。
医療においては、体全体の繋がりを重視する東洋医学に対して、人体をパーツの集合体のように考えているように思い返す。
ですから、欧米文化の成果の一つでもある資本主義が標榜する合理主義やら功利主義やらが社会で幅を利かせる、区切る社会で生きているうちに、そんな発想を自分の人生に持ち込む方も少なくないのではないかと思います。
たとえば、
「ムダなことはしない」
という発言は、一見、理にかなっているようにも思われますが、そのムダに見えることが、実は自分の人生のどこかに繋がっていることに気づかない自分を世間に表明していることになるのではないかと思います。
こんなことを例の友人に語りましたところ、
「キミの場合、ムダなことしか繋がっていない人生なんだよね……」
とか、
え?
(こんなムダなブログもどこかに繋がっているのか!)
とか、
「いつものパターン化したオチをつけるのか……」
なんてことではなく、
「金曜日には外務省のゴルゴ13を取り上げて、土曜日は『サワコの朝』を話題にして、そして明日、日曜のネタは『そこまで言って委員会NP』か?」
と、ツッコミを入れられた方は、繋がりがよく見えていらっしゃる方だと思います。