思い出作りと自分探し

フェイクニュースがあるのなら、フェイクワードもあるのではないかと思います。

キーワードがあるのなら、フェイクワードもあるのではないかと思います。

 

さて、修学旅行のシーズンになりましたが、修学旅行の目的はいったい何でしょうか……

漢字から考えると、

〈学問を修める旅行〉

となりますが、生徒の中には、

「思い出作り」

と考えている向きもあるようです。

 

ところで、思い出は作るものなんでしょうか……

世間には、普段話さないようなことをこっそり友達と話したとか、枕投げをして先生に叱られたとか、お土産を買って記念になっているとか、いい思い出になっているという修学旅行の話は、よく転がっています。

ただ、そうした先人のよりよい思い出をなぞるような思い出作りって、どうなんでしょう……

わざわざ作らなくても、日常生活のあらゆることが、よくも悪くも勝手に思い出になってしまうのが、思い出ではないかと思います。

いくら修学旅行でたくさん写真を撮っても、お土産をたくさん買っても、以後、一度も思出さなければ、思い出にはならないのではないかと思います。

 

〈自分探し〉なんて言葉はもう流行らなくなったように思いますが、この言葉も、〈思い出作り〉と同じ種類の言葉かと思います。

たぶん、アイデンティティという、新たな概念から派生した発想かと思いますが、日常生活の中に自分は存在し、その中でいろんな悩みや迷いがあってあれこれ模索しているわけですから、改めて自分を探す必要などないように思います。

 

そういう意味で、〈思い出作り〉も〈自分探し〉も、フェイクワードではないかと思います。

 

え?

(だったら、このブログもフェイクブログだよな……)