座右の銘としての『面従腹背』

アタクシの座右の銘は、

『明日でええことは今日するな』

『なんでもあきらめて手放したら楽になる』

です。

ですから、なんや一生懸命仕事してはる人の耳元で、

「明日でええことは今日するな、遊びにいきまひょか……」

とか、なんやあきらめきれん様子の人には、

「あきらめたら楽になりまっせ……」

とか、悪魔のように囁きます。

 

そのせいでしょうか、ときどき、

「あんさん、ふつうのお方やおまへんな〜」

なんて視線を向けられます。

 

座右の銘と申しますのは、その人がそれを信条としている言葉ですから、そのまま、その人の生きかたを明示する言葉になるのではないかと思います。

まして、それを公言するということは、自分の人生がどんなものか、公表することになるのではないかとも思います。

 

そう考えますと、元文科省の某氏が某報道番組で、

座右の銘は『面従腹背』です」

という言葉を口にされたということは、某氏も、

「あんさん、ふつうのお方やおまへんな〜」

てなことになるのではないかと思います。

 

もちろん、座右の銘ですから、『面従腹背』は職場に限らず、日常生活においても某氏は同じ態度で他者に接しているのではないかと思います。

だといたしますと、別に、アタクシのように周囲の人に悪魔のごとく囁かなくとも、そうしたことは周囲には伝わりましょうから、日頃から某氏に関わる人々も、『面従腹背』で彼に接しているるのではないかとも考えられます。

 

誰しも、相手や場面によっては『面従腹背』もありましょうが、さあ、これを座右の銘とし、しかも世間に開示したとなると、

「あんさん、ふつうのお方やおまへんな……」

てなツッコミも、ワレワレの世界で使われる場合と違う意味合いになって、なんや哀しいように感じます。

 

え?

(あんたの人生の方が哀しいんとちゃうか……)

って、アアタ、あはははは……