シナリオと小説

小説は、文章として作品が残りますが、映像として作品が残っても、文章としてシナリオが残ることはあまりないようです。

 

また、小説には、文学的表現が求められますが、場所を表す〝柱〟とト書き、台詞で構成されるシナリオには、文学的表現が要求されることはありません。

 

小説は、それだけで完成された作品ですが、映像を最終形態とするシナリオには、小説ほどの完成度は必要ないように思われているのかもしれません。

 

小説の映像かに伴うシナリオや、映像のノベライズとしての小説はあっても、シナリオの小説化というのはありません。

 

小説は義務教育で教科書にたくさん記載されているのに、シナリオは戯曲という名前でほんの少ししか教科書に載っていません。

 

でも、小説よりももっと具体的に想像させることができるのは、シナリオです。

視聴者や観客に見せる前に、監督やら役者やらカメラを回すスタッフに、具体的にイメージ時てもらう必要があるからです。

 

もし、児童生徒に想像力を培いたいと考えるなら、小説と同時にシナリオの読み解き方を授業すべきかと思います。

 

今、柏田道夫さんの『シナリオの書き方』(映人社)を読みながら、そんなことを思っております。

 

え?

(今頃、なんで『シナリオの書き方』を読んでるんや?)

 

そりゃ、シナリオで一発当てるために決まってまんがな……