〈明智光秀は、なぜ信長を討ったのか?〉
本能寺の変の後に明智光秀が書いた書状の研究によって、光秀が室町幕府の再興を考えていたからではないかという説が浮上し、歴史ミステリーの代表格とも言える課題の一つが解けようとしています。
もしそうなら、織田信長に家来になる前に越前朝倉義景に仕えていた光秀は、その折、朝倉義景のもとに身を寄せていた足利義昭と面識、深い親交があったやもしれず、その過程で、光秀は足利義昭による幕府再興を考えたけれども、朝倉義景には上洛して幕府再興を図る気はなかったようで、そこで光秀は信長にその夢を託そうとしていた……
ということになって、それが教科書なんぞに正史として記載されでもしたら、困るのは、これまで勝手に解釈して物語を創ってきた創作者です。
今年のNHK大河ドラマでも、当初、女性であるとされていた主人公が、実は男だった、なんて歴史的資料が発見されたとかなんて話が出て参りましたが、どうしようもありません。
史実の隙間、歴史の謎が創作のネタになるわけですから、
「歴史の謎は謎のままにしておいてくれよ……」
と言いたいところです。
これを例の友人に語りましたところ、
「キミの場合、それで困ることでもあるの?」