虎松の中には、いろいろな方が生きておられるようじゃの」

昨夜のNHK大河ドラマ『おんな城主』で、

「虎松の中には、いろいろな方が生きておられるようじゃの」

という台詞がありました。

 

新美南吉先生の『久助君の話』には、

「それから久助君はこう思うようになった。—わたしがよく知っている人間でも、ときにはまるで知らない人間になってしまうことがあるものだと。そしてわたしがよく知っているのがほんとうのその人なのか、わたしの知らないのがほんとうのその人なのか、わかったもんじゃないと。」

と記されています。

 

アタクシの知り合いで、大学で非常勤講師として教壇に立ちながら、祭りの露店で焼き鳥を売っているという方がいらっしゃいます。

大学の先生や学生やスタッフとの関係と、露店の関係者との交際が並立しているなんて、普通の人にはそれが理解できないことのようですが、知人の中ではしっかりつながっています。

 

同じく、昨日の日曜ワイド、水野真紀様主演の『司法教官・穂高美子⑥』(ABCテレビ)では、

「私のことを知らないで、君らしくないって、どいうことですか……」

という台詞がありました。

 

「あの人はこうだ」

と他者を決めつけるのではなく、

「あの人の中には、いろいろな方が生きておられるようじゃの」

と考えるのがいいのかもしれません。

 

もちろん、反対に、誰かの中に自分が生きている、というケースもあるかと思いますし、何より、自分自身の中に、いろんな方が生きているということが言えます。

 

これを、例によって例の友人に語りましたところ、

「その通り!」

と、珍しく全面的に肯定してくれました。

「うれしいことを言ってくれるやないか」

と喜んでおりましたら、

「でもね、ボクはそれで困っているんだよ……」