〈ハゲ〉はなぜ差別用語ではないのか?

青森県の鶴田町には、《ツル多はげます会》なる、スキンヘッドばかり70名ほどが集う会があるそうです。

昨日、その《ツル多はげます会》が、『仲秋の有多毛(うたげ)』を催したと、毎日新聞が報じていました。

 

テレビやラジオなどでは、差別的な表現については、放送禁止用語として自主規制していますが、どういうわけか、〈ハゲ〉がその対象になっていないことは、某国会議員が秘書に向かって、

「このハゲー!」

と激しく罵った音声が何度も放送されたことから考えても、明らかかと思います。

 

世の中、バーコードと密かにあだ名されるような、側頭部の髪を長く伸ばして頭全体を横断させる方もいらっしゃいますし、禿頭について恥ずかしいというイメージをお持ちの方も少なくありませんが、《ツル多はげます会》のようにたくさん集まりますと、却ってそれが当たり前で楽しく誇らしくさえ思えるのではないかと思います。

 

あるいは、世間では〈ハゲ〉ではなく、〈スキンヘッド〉と横文字に言い換えておられる方も多いかと思います。

 

アタクシの友人にも、海坊主のごときスキンンヘッドのおっさんがおりますが、彼は常々、

「吾輩は、ハゲしくハゲますハゲオヤジである」

などと嘯きながら、

「心配ない。大丈夫だ」

と女性にばかり、声をかけております。

 

ハゲに限らず、自分が恥ずかしいと思っているのは自分だけで、大勢の人がそうであったり、呼称を変えたり、あるいは開き直ったりすれば、別に恥ずかしがることなんかないどころか、逆に武器にすらなるのではないかと思います。

 

そんなことを例によって例の友人に話しましたところ、

「だから、キミは恥知らずなんだよね」

「いや、アタシはハゲていない……」

「ハゲに限らず、ほら、キミはピーこととかピーこととか、いつも平気でやっているよね」