今年のNHKの大河ドラマ《おんな城主》もいよいよ大詰めです。
拙ブログで触れました、
「武田が来たりて火を放つ」
や、高橋一生さんの
「地獄へは俺が行く」
や、浅丘ルリ子さんの、
「弱音を吐いた者から負けるのじゃ」
といった、粋な台詞が注目されましたが、昨夜の〈本能寺が変〉の会話はいただけません。
信長が我々を〝殺す〟と言い、その信長を我々が〝殺す〟といったやりとりがなされていましたが、創作の作法、日本の文化、時代劇の伝統から言えば、他者の命を奪う表現を、これだけ何度も直接的に表現するのは、まさに下の下ではないかと思います。
日本の古きよき時代の時代劇なら、
「命を奪う」
「なきものにする」
「手にかける」
主君を討つ場合でも、
「お命を頂戴する」
「弑る」
「弑奉る」
下世話な言い方なら、
「やってしまう」
など、多様な表現があります。
NHKのことですから、それも承知でこの会話だったかとも思いますが、視聴者に安易に何度も聴かせていい言葉か否かという感覚が、欲しかったとアタクシは思います。
同じく昨日の《そこまで言って委員会NP》では、いわゆる〈殺したい症候群〉についての医学的検証討論が行われていましたが、以前、報道にもあった、人が戦って簡単に死んでは生き返るようなゲームなどによる影響を指摘する発言もレギュラー陣から出ておりました。
癒しの言葉や勇気をくれる、あるいは人生を変える言葉が昨今もてはやされているということは、現代社会には人を傷つける言葉があふれているということでもあるかと思います。
創作に携わる者は、せめてそうしたことにも意識を向けるべきではないかと思います。