選評を読んでおりますと、結局は、
《人間が書けているか否か》
に集約されるように思います。
人間が書けている、というのは、小説の題材に関わらず、主人公の過去からつながった現在が描けているかという点にあり、現在のその状況に対して過去からつながった主人公がどういうことを感じ、何を考え、どんな行動をするのか、ということで、この点は、純文学に限らず、いわゆるエンターテイメント小説でも、基本的には同じようです。
ただ、小説の書き方を指南した書籍の多くは、プロットありきで述べられており、ためにプロットに誘導された人物造型が、却って小説の最も重要な要素を削ぎ取っているという説もあります。
こうした、何がが読み手の心に深く切り込むのかという点が重要であるということはよくわかっているつもりではありますが、わかっちゃいるけどなかなか書けないところが己の才能のなさであり、また精進の不足している証明でもあると思います。
その他、三十枚の短編に小見出しをつけるのは却ってうるさく感じられるとか、擬音語がなければよかったとか、他の新人文学賞にも見られる講評がみられました。
はてさて、アタクシは、懲りもしないで今年もどんな駄作を恥ずかしくもなく披露してしまうでしょうか……
明日、伝楽亭の《新年会のための落語会》で、恥さらし始めをしてしまいます……
ちなみに、アタクシの他は、円句師、猿之助師、玄関師、小さん師、緑生師、席亭かかし師と、豪華メンバーが揃っておりますので、どうぞお越し下さい。
1時開演でございます。