刻もうとする人と伝えようとする人

歴史に名を刻む。

刻みたい方は、古今東西、数限りなくいらっしゃるかと思います。

そのために、人生を費やしている、といっても過言ではないという方もおられるかと思います。

でも、その努力が、労力が実を結ぶことは珍しく、むしろそんな意識のないままに何かに取り組んでいる人に、その栄誉が訪れるようにも思います。

 

ただ、歴史に名を刻むことができても、その人が実感を伴って語り継がれることは稀だと思います。

たとえ、教科書に名前が記載され、写真や肖像画が残されたとしても……

 

阪神淡路大震災から23年を数えた今日は、どのメデイアも関連記事や報道を行ていますが、いつまでも伝え続けて行かなければならない、という課題も同時に示しています。

 

日本では、広島、長崎、沖縄を始め、今日の阪神淡路、東北、熊本、あるいは世間を震撼させた大事件が発声した日に、風化させるな、語り継げ、とニュースで取り上げれます。

何十年を経て、実際に語り継がれていることもあります。

 

ただ、この先、たとえば100年後、1000年後にまで、教科書に印刷されるだけでなく、実感を伴う形で、さあ何が 語り継がれて行くのでしょうか……

 

歴史に名を刻むことと伝え続けることを、ふと考える一日でもありました……