「歴史の名場面になる」という言葉から……

韓流ドラマの人気の要因の一つに、役者の演技力があるというようなことを聞いたことがあります。

日本の俳優と違って、韓国の俳優は根本的、かつ独自の肉体鍛錬を実践した上で、演技の基本について徹底的な指導と修錬が行われているようです。

 

そうした一流の役者をまとめる監督が、

「こんな名場面を撮りたい!」

なんて独りよがりに考えて撮影に臨むこともないようです。

 

日本でも、

「こんな名場面を撮りたい」

という独善的な考えを持った監督の作品が評価されることはありません。

 

先日、K国のMさんがおっしゃった、

「歴史の名場面になる」

という言葉は、まさに独りよがりの下手な監督の台詞のように聞こえたのは、アタクシだけでしょうか……

 

名場面を作るために何かをしようというのは、今流の言葉で言えば、インスタ映えするシーンを作り出そうとするのと同じ、功名心のなせるわざではないかと思います。

 

近代文学史には、ご婦人方を感動させる〝紅涙を絞る〟小説があったそうで、映画やドラマ、あるいは小説など、ウケを狙って紅涙を絞る名場面を意図することは罪にはなりませんが、政治やビジネスの世界で名場面を作り出そうという発想は、歴史に名を刻もうという下心から生まれるもので、下手をすると世界に危険に晒す大罪を犯すような結果を招くのではないかと危惧いたします。

 

こんな話を例によって例の友人に語りましたところ、

「いつもウケを狙っているキミにそんなことを言う資格があるのか」

と、たしなめられました……