女子レスリングの伊調選手に対する、元強化本部長のパワーハラスメント問題について、
「よく俺の前でレスリングができるな」
という発言などが日本レスリング協会の第三者委員会の調査結果でパワーハラスメントと認定されたと報じられました。
レスリング界の古い体質も問題の根底にあるような指摘もされているようですが、指導者の器の小ささを体質の中に混ぜ込んでしまうのはかいかがなものかと思います。
弟子が、師匠を超える実力を身につけて活躍すると、
《出藍の誉れ》
と称賛されます。
この際、それまで教えを請うてきた師匠とは違う指導を受けてさらに強くなりたいと弟子が思えば、自分を強くしてくれる指導者を外に求めるのは当たり前かと思います。
ちょいと気の利いた時代劇の剣の師匠なら、
「わしが教えることはもうない。武者修行の旅に出よ」
ぐらいおっしゃってくださいます。
己の力量を超え、教えることがないと悟った時の師の弟子に対する接し方が、最後の教えになるということではないかと思います。
つまり、指導にあたった人間の器の大きさを見せられるかどうかというところが、今回、伊調選手を見舞った不幸の要因ではないかとも思います。
それは、弟子が輝かしい結果を出した時に、
「手塩にかけて育てた甲斐がありましたね」
なんて問われた時にも表れるのではないかと思います。
「まあ、いろいろ苦労はしましたけれどね……」
と答えるか、
「あいつが努力したからですよ」
と応じるか……
弟子が敗れた時に、
「これであいつもまた精進するでしょう」
と答えるか、
「指導する私の力が足りなかったからでしょう」
と応じるか……
もちろん、状況によって一概には言えませんが、弟子が成長するということは、師匠の器の大きさも見えてくる、ということでもあるように思います。
こんなことにくじけることなく、伊調選手の今後のさらなる御活躍を願うばかりです。
ちなみに、本日の『サワコの朝』はお休みです……