現代社会が失った〝キンチョウ〟

現代に生きる日本人には、いくつか〝キンチョウ〟が欠けているように思います。

 

政権与党の議員さんたち、あるいは省庁のトップの方が不祥事を起こした時なんかに、

「もっと〝緊張〟感をもって……」

てなことを首相なんかがおっしゃいます。

 

無益な緊張を強いるのは避けるべきかと思いますが、昔に比べると、公共の場においての緊張感が欠如しているように感じているのは、アタクシだけでしょうか……

 

相手の話を慎んで聞くこと、注意深く耳を傾けるという意味を表す〝謹聴〟も欠けているように思います。

他者がまだ言い終わらぬうちに自分の考えを声高にかぶせるという行為が、当たり前のようになってしまったのは、いつからでしょうか……

 

ヤジや怒号が飛び交う国会なんかは、〝緊張〟〝謹聴〟両方ともに欠如している典型的な場所のようにも思います。

 

明らかに死語となっておりますのが、〝金打〟かと思います。

江戸時代、約束を違えぬ誓いを示すために、武士なら刀の鍔を合わせ、僧侶なら鉦を合わせ、女性なら鏡を合わせるといったことは、現代では行われなくなりました。

 

書面で交わして違約の場合どうするか、といったことなども記載ております現代社会の約束は、双方が絶対に約束を違えぬという固い決意の欠如を示しているようにも思われます。

 

ただ、エアコンの発達した現代社会でも〝金鳥〟だけは重宝されているようです……

 

緊張感もなければ、謹聴する、あるいは金打する価値もないお話でございました……

                                  デンデン